修子と詩織と仁科の会話はまだ続いていた。
「なんでやー、どーせ捨てるもんやなか。食いもん粗末にしたらあかんゆーて、子供のころ叱られたんじゃなか? 一個くらい見逃したってバチはあたらんがや」
相変わらず謎の方言を口にしている六甲に情け容赦ない声が飛ぶ。
そして客席では闇沢武士が、三日月とシータの会話から知った『ラブシック』の事をどう調べようかと悩んでいた。
「はじめまして。先ほど電話で面接をお願いした天本真弓です。……忙しいみたいですね。お邪魔だったら待ちますけど……」 面接を受けるために訪ねてきた真弓は、オフィスから出てきた稟に、大きな眼鏡の向こうから戸惑いがちにそう問いかけた。 「いいのよ。お昼時は……そうね、ちょっと混雑するけど、今は洋上高校も夏休みでしょう? これでも暇なくらいなのよ。えーっと、店の方にはちょっと開いている席がないようね。裏で話しましょう。狭いけど休憩用のコーナーがあるの」 そう言って稟は真弓をキッチンの奥――オフィスへ続く更衣室や休憩所のある場所へ案内した。
「送ってもらった履歴書は見せてもらったわ。……採用には問題ないわね。いつから来ていただけるかしら? ほら、今ちょうど年度の変わり目でしょう? 進学を理由にバイトをやめる人も多くて……ちょっと人手不足なのよ」 さっきの……借りてきた猫のような大人しい女子大生ぶりっこはどこへやら……だった。 「……頼もしいわね。じゃあ、お昼の混雑が終わったらさっそくお店にでてもらいましょう。とりあえず着替えてね。制服はたぶんクリーニングから返ってきているのの中にサイズのあうものがあると思うわ。今コーヒー持ってくるから、とりあえずここでこのマニュアル読んでてね」
稟はそう言いおいて立ち上がった。 (農学部には働き者が多いって聞いたし。はきはきしたいい娘が来てくれてよかったわ(^_^))
麻薬騒動のせいですっかり気落ちしてた稟は、久々に晴れ晴れとした気分になっていた。
真弓は稟に言われた通り制服に着替えようと、更衣室の扉を開けた。 「きゃっ!」
という悲鳴が上がった。
「あー、びっくりした。新しいバイトの人?」 そうそっけなく言って、バイトのふたりはさっさと出て行ってしまった。 (……なんだったんだろう?) 一瞬だったが、ドアを開けた瞬間、ふたりがなにかを受け渡ししていたように見えた。……赤い缶と、たぶん札だと思えるものを交換していたような気がする。
「仁科せーんせ、こんなところでデート?」 アルバイトを終えて帰ろうとする少女が、仁科に声をかけた。今度三年に進級する洋上高校の生徒だった。 「違う違う、今度二年に転入する生徒だよ。今日は転入試験だったんだ」
仁科はくすくす笑っている少女にそう声をかけた。 「ね、ヨーコってば……早く行こう!」 もう一人の少女にそう声をかけられて、彼女は、 「先生、じゃあね」 とくすくす笑いを浮かべた顔のまま言って、店を出ようとしている友人の方へ身を翻した。持っていたバッグが大きく揺れ、中に入っていたドロップスの缶が転がり出たのはそのときだった。 「落としたぞ」 仁科が立ち上がり、ドロップスの缶を拾い上げた。 「ありがとーございます(^_^)」 そう言ってぺこりと頭を下げると、ヨーコと呼ばれた少女は店を走り出ていった。 その光景を店にいた結城唯が、闇沢武士が……そしてハーツェリンデが見つめていた。
(あの缶は……)
そう即座に気づいたのは唯だけだった。 いや、闇沢の意識はそのあとハーツェリンデのもらした小声の独り言の方にむいていた。 「ラブシック……」 確かにそう、その外国人の少女はもらしたのだ。 (まさか……あの缶が?) だが、その闇沢の表情の変化に気づいた者は誰一人としていなかった。
そして、ハーツェリンデはハンバーガーの最後の一口を口に放り込んで、持っていたバッグの中をのぞき込んだ。
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8月25日、快晴――。 「潰れかかった会社で、社内不倫の調査なんかする金があるんなら……経営の立て直しでもすりゃあいいのに」
とぼやきながら出かけていった。 「だったら早く帰ってきてくれよ」 ……というアーマスの意見は、どうやら却下されてしまったらしい(^^;)。
留守番は今日もアメデオ(……とユッコが呼んでいるところのアインシュタイン)とユッコである。(繰り返すが、「ユッコとアインシュタイン」が留守番しているのではない「アインシュタインとユッコ」が留守番をしているのである) 「今日はあやとりしよう!」
アーマスが出て行ってから……ユッコがそう提案を出すまで、ほんの十分も経っていなかった。つくづく、会社の状況を理解していない暢気な性格である。嫌がる諒に無理を言ってまぐまぐバーガーへ潜入させなければならない理由も、このユッコを見れば十分にうなずける。
ゼロワンSTAFFに予定のない来客が現れたのは……午後3時を少し回った時だった。 「はーい、どちら様ですかぁ?」
そう言いながら、もうユッコは扉を開けている。 「ウキキッ(だめだよ、ゆっこちゃん。おきゃくさんがきたときには、ちゃんといんたふぉんであいてをかくにんするんだ。それがゆうしゅうなすぱいへのだいいっぽだ)」
勿論、ユッコにそのアインシュタインの猿語が理解できた訳はない。
「……グレちゃんいる?」 玄関の前に立っていたのは香南だった。 「うーんと、出かけてるけど……。あれ? 確か克巳ちゃんの結婚式で頭から血吹いて倒れた娘だよね(^_^)。もうすぐ帰ってくると思うから、上がってかない? 美味しいクッキーがあるよ」
ちなみに……アーマスはユッコには企業内スパイの仕事の事はいっさい話していない。話せば厄介な問題が増えるだけだと思ったからだった。 「まぐまぐバーガーにアルバイトを斡旋しているらしい」
というくらいの情報だけだった。 「……うん」 小さくうなずいて、香南は部屋に上がった。
あやとりの抗議に香南が加わって白熱していた頃、新婚旅行先(そろそろインドにつくはずの船の中である)からの中川の定期連絡が入った。 「やっほーーー」 だが、画面に映し出されたのは中川ではなく、真奈美の顔だった。
「あれぇ、克巳ちゃんは?」
電話に出たのが中川ではなかったので、ユッコは急に口調が変わった。
「グレちゃんはいませんかあ(^^;)」 カンペキに、ただの「いやみなおねーさん」である。 「あれ? 香南がいる……」 モニターに映し出された室内に香南を見つけて、真奈美はそう声を上げた。 「香南に代わって、おねーさん(^_^)」
真奈美はとりあえず逃げの一手に香南を使う事にしてそう笑顔を作った。 (克ちゃんて、けっこーモテるんだにゃ) と改めて感じさせられていた真奈美ではある(^^;)。 「真奈美ちゃんっ!」 モニターの前に座るなり、香南が声を上げた。 「明後日は香南の誕生日なの! グレちゃんが『味の屋』で誕生パーティしてくれるって! まーちゃんも来るんだよ。だから真奈美ちゃんも来てねっ! 約束だよ!!」 (香南……飲んでるのかにゃ?)
真奈美はまくしたてる香南を見て、ふとそう思った。 (お酒あんまり好きじゃないって言ってたよーな気がするけど……。マイヤーさんに鍛えられたのかなあ?)
OSPの明日を担うスーパーヒロインにしては、ちょっと勘の鈍いところが、真奈美の欠点である(^^;)。
「香南が来た……?」
山田製薬から戻ったアーマスは、珍しく締めたネクタイを外してソファに腰を降ろした。 『あやとりをした。ユッコは「猫」が作れるようになったけど、カナンは下手くそで全然駄目だった。「橋」も「東京タワー」も作れないからユッコも一緒に教えてあげたけど、やっぱり駄目だった』 という文章がユッコの丸文字で綴られていた。 「これじゃ業務日誌って言えないだろう(^^;)」 そう言いたい気持ちは、すでに社長代行をはじめて三日目できっぱりと捨てた。
「うん……グレちゃんに用だったみたいだけど……、途中でやっぱりいいやって帰っちゃった。二十七日にバースディパーティするんでしょ? だからその打ち合わせがしたかったんじゃないのかなあ。ユッコ、よく分かんないけど」
アーマスはちょっと不安になった。
「どんな様子だった、香南?」 (まさか……)
嫌な予感がした。
アーマスはヴィジホンに向かうとまず軍事学部を呼び出し、マイヤーに取り次いでくれるように頼んだ。だが、マイヤーはしばらく補習講義を休講にするという届けを出して出かけているのだと言う返事だった。 (……また、薬を?)
アーマスは舌打ちした。 (香南を見つけてくれ、マイヤー!)
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六甲は四時間ほどの勤務を終えて、ようやくSNSのサウナよりくそ暑いキッチンから解放された。 「づ……づがれ゛だ」
更衣室で着替える前に、とりあえず間食(時間切れになって捨てられたハンバーガーである。他のアルバイトの目を盗んでくすねる事には成功したが、調理用エプロンのポケットに突っ込んであったため、潰れている)を食べようと店の裏手の狭い休憩所に立ち寄った。 「を――――、ドロップスや(^_^)」
労働の後のすきっ腹に、たった一個のハンバーガーでは少なすぎると思っていたところだった。それが例え腹のタシになるとも思えないドロップスであったとしても、ないよりはいい。 「う、うげえ。なんなんや、これ」 思わずそう叫んで口の中の薬を吐き出す。 「ドロップスじゃい思ーたら、薬やん、薬なんかより、こっちゃの方がずっとええわ」 六甲がそう言って、ハンバーガーに食いつこうとした時……オフィスから稟が顔を出した。 「どうしたの、小泉くん。……ゴキブリでもいた?」
稟を見つめて、六甲の顔が一瞬輝いた。 「え゛……」 何となく、稟は嫌な予感を感じた。
そして約一分後……店の裏の休憩所には、稟の膝にちゃっかりと座り、いつもにも増した幸せいっぱいの表情でハンバーガーに食いついている六甲の姿があった。 「てんちょーはんの膝、座り心地えーがじゃぁ(^_^)」 それがまさかラブシックによる幻覚症状なのだとは思いもせず……稟はハンバーガーに食らいついている六甲を、呆然と見つめていた。
そしてその日、公営住宅の弥生宅でも同様の事件が起きようとしていた。 「群島内で蔓延している麻薬のことを調べている」
と言っていた。
……世莉は暇だった。 「はあ――」
こんな毎日を送っていると、なんだか老け込むのも早いような気がする。いや、ひょっとするとこの若さでボケ老人になってしまう可能性だってある。 「ルイスに……なんか本でも借りて読もう」
そう思い立って、世莉は誰もいないルイスの部屋に忍び込んだ。 「そういえば……広田さんが、サクマドロップスがどうのって言ってたような気もするな……」
世莉はそう独り言のように呟いて、缶を開けてみた。 「……麻薬かあ。効くのかな、ホントに」
世莉は麻薬を使ったことはない。別に使いたいと思ったこともなかった。
缶にぎっしりと詰まったピンクの錠剤をざらっと手に出し、世莉はそれを一気に口に運んだ。
ぼんやりとした陶酔が、世莉を襲っていた。 「……」 そして、世莉が彼女の名を呼ぼうとした瞬間、
ざ――――――っと激しい水流に頭を突っ込まれて世莉は我に返った。 「ぼくの薬を勝手に飲むなよ。……適量がどれくらいかも分からないで……。場合によっては生命に関わったかもしれないんだよ」 びしょ濡れになった世莉に大判のタオルを投げて、ルイスは困ったように言葉を発した。 「何の薬なんだよ、あれ」
頭を拭きながら、世莉はルイスを振り返って尋ねた。 「……まだ、秘密」
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8月27日。ついにアーマスの待ち望んでいた中川と真奈美の帰還の日がやってきた。
空港にふたりを出迎えたのはアーマスと諒プラス来なくていいと言うのについてきたユッコとアインシュタイン。 「あーら、偶然よ、ぐ・う・ぜ・ん」
と白々しい笑いを浮かべて金色のオープンベンツで現れたチャン・リン・シャン。
……いや、実際には中川と真奈美は昨日帰国していたのだが、昨日は足りない土産を買い揃えるために横浜中華街とアメ横をハシゴして、空港ホテルに止まり、さも今日帰ってきたかのように見せかけていたのである。
そして一行はそのまま、香南の誕生日パーティ会場の『味の屋』へと向かった。 「今日は私も誕生日なの。偶然よね(^_^)」 と六十回目のバースディ(「まあ、失礼ね。まだ55よ」:本人談)を香南のパーティに便乗して祝ってもらおうと押し掛けた上原の姿が紛れていたことは……できればSTも書きたくはない事実である。
香南は約束の時間に少し遅れてやってきた。
諒に公衆ヴィジホンから香南が電話をかけてきたのは、昨夜のことだった。 「どうしてそのときすぐに、俺に知らせなかったんだ」 帰ってきたとき、諒からその話を聞いてアーマスは声を荒げた。
「駅の公衆ヴィジホンからだったんだろう? そのときすぐに探せば……見つかったかもしれないじゃないか。すぐに病院に戻せば……薬をこれ以上……」 そのアーマスの言葉を遮って、諒は口を開いた。
「ね……明日は香南ちゃんの言う通りに、『味の屋』でパーティをしてあげよう。マイヤーさんにも来てもらって……。無理矢理押さえつけて薬をやめさせても無駄よ。何度だって逃げて同じことを繰り返すだけじゃない。それとも縛り付けて、閉じ込めて置くの? ……お願い、香南ちゃんの気持ちも考えてあげて。香南ちゃんが薬をやめさせられるのは……私たちやお医者さんじゃないわ」
涙さえ浮かべている諒のその表情に、はっと息を飲むほどの衝撃をアーマスは覚えた。 「あいつは最低の男だ」
とうそぶいている事も耳にしていた。そのことに……アーマスは苛立ちさえ覚えていたのだ。 「香南の為に……楽しいパーティをしてやろう」
自分の部屋に入ろうとする諒の背中に、アーマスはそう言葉をもらした。
香南が『味の屋』に入ってすぐに……縁島洋上高校前駅で香南を見つけ、あとをつけてきたマイヤーも店内に入った。 「じゃあ、えーと、主賓もゲストも揃ったところで……香南の誕生パーティと社長と真奈美の新婚旅行打ち上げパーティを始めたいと思います。乾杯の音頭をとってくれよ、社長……」 そう言ってグラス(中身はオレンジジュースである、念のため)を渡してアーマスがぐったりと椅子に伸びている中川をせっついた。 「あー、疲れたぞ、乾杯!」 その中川の声に、集まった面々がそれぞれにグラスを触れ合わせた。『味の屋』の女将である紀美枝が作ってくれた特大のバースディケーキのロウソクを香南が吹き消す。 そしてその後は……たまたま店を訪れた一般市民を巻き込んでの……いつも通りの大宴会となった。 「マイヤーさんも、どーぞ」 そしてまたいつものごとく、テーブルを回ってビールのお酌サービスに精を出しているのは真奈美である。その上、今日は真奈美に張り合おうとオフィコンのユッコまでもがお茶汲みで鍛えた腕前を披露しているから……グラスの空く暇がない。 「いや……俺はいい。コーヒーを貰えるか?」
真奈美の酌を断って、マイヤーは紀美枝にコーヒーを注文した。
そして……毎度のように……宴会は『味の屋』の営業時間を過ぎた深夜まで続いた。
香南の表情の変化に、マイヤーは気づいていた。 「香南、そろそろ帰るぞ」
マイヤーがそう声をかけた。 「ええええええええ、香南帰っちゃうのぉ。まだまだ宵の口なのに(;_;)」 耳ざとくマイヤーの言葉を聞きつけて、真奈美がそう声を上げた。 「まあまあまあまあ……邪魔するのは野暮ってもんだろ、真奈美」
その真奈美を背後から抑え込んで中川が言った。 「マイヤー……頼んだぜ」 立ち上がったマイヤーに、アーマスがそう小さく声をかける。 「ああ」 そう低くうなずいてマイヤーは香南を連れ、店を出て行った。
そして主賓の一人を失ってなお……『味の屋』の宴会はどこまでも脳天気に続いた。
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『味の屋』の喧噪は薄い壁を隔てた『こうじや』にも聞こえていた。 ふたりの間にあるちゃぶ台には、群島プロムナードからダウンロードした求人広告のプリントアウトが乗せられている。 「本気なのか……」 『夜明け前』を茶碗に注ぎながら、坂井は低く言った。 「勿論だ。この巽進一郎、痩せても枯れても冗談など言うおちゃらけた性格はしとらん」
答えた巽の言葉には、確固たる意志が感じられた。 『それなりに覚悟の必要な仕事』 以前に見た事のあるような見出しが、そのプリントアウトの最上段に印刷されている。 そして……社名の欄に燦然と輝く、 『人材派遣ゼロワンSTAFF』 の文字。 「……やめた方がいいと思うぞ、巽。貯金と息子さんたちからの仕送りで充分暮らして行けるんだろう。何も好きこのんでこんな胡散臭い仕事に首を突っ込まなくたって」 坂井曰くの胡散臭い仕事とは……もちろんそのプリントアウトの職種欄に書かれている、 『企業内スパイ』
である。 「俺が愛してるのは真奈美だけに決まってるじゃないか……」 という、お調子者くさい……そして聞き慣れた中川の声が聞こえてくる。 「いいか坂井。わしは今の生活に、何の不満も抱いてはおらん。貯金の利子、そして息子や娘たちの仕送り。まだ小学校の孫たちでさえ、時には小遣いを封筒に入れて送ってくれる。そんな悠々自適の生活に、不満なんか一個だってありはしない。だがな、だが、心はいつだって無垢な少年のように、心ときめく冒険を求めてやまないんだ」
何となく、どっかで聞いたような台詞を、巽はぬけぬけと吐いた。
「だが巽、君子危うきに近寄らずと言う言葉もあるぞ。何せ相手は今隣の店で馬鹿騒ぎをしているあの連中なんだからな」 茶碗になみなみと注いだ『夜明け前』をぐいっと一気に煽ると、巽は鼻息も荒くまくしたてた。 「わしだってあと十歳……いや二十歳若ければ仲間に入れろと飛び込んでいるところだ。この巽進一郎、若い者に侮られるようなヤワな男ではないわっ!」
思えば……この血の気の多さがこいつの欠点だった……と坂井はうなだれた。 「鉄砲玉が必要ならいつでも呼んでくれ。地の果てからでも駆けつけるぞ」
といきまいて、陸上自衛隊に入隊して行ったのは……そう言えばこの男だった。
御託はいいから酒の肴に田楽でも作ってくれ、と言われて、坂井は味噌を取りに暗い店舗の土間に降りた。
『味の屋』を出たマイヤーは、少し歩いたところで立ち止まり、香南を振り返った。
「病院に……戻ってくれるな?」
だが、香南は答えなかった。 「お前の使っている薬は……麻薬なんだ。子どもの遊びの薬なんかじゃない」
マイヤーの表情は辛そうだった。 (俺が……香南を追い込んだ)
その思いが、マイヤーに自分自身を責めさせた。 「……麻薬?」
ようやく顔を上げ、香南は呟くように言葉を発した。
「そうだ……。まだ成分は分からないが……おそらくヘロインと同程度の強い依存性を持つ麻薬だろうと医者は言ってる」
マイヤーはもう一度その言葉を繰り返した。 「麻薬だなんて……知らなかった。桜ちゃんの言う通りの、ただのおまじないの薬だって思ってたんだ」
香南の目から……ぽろぽろと涙がこぼれた。
「ずっと……香南のこと探してた?」
何かを言おうとしたが、喉の奥に詰まって出てこない……そんな感じだった。
ふたりのシルエットが離れ、ゆっくりと歩き出すまで……坂井は暗い土間に呆然と立ってその光景を見つめていた。 「をーい、坂井、田楽はまだか」 巽の声が座敷の奥から飛ぶ。だがそれでも、坂井はもう何も映ってはいないガラス格子の扉を見つめて立ち尽くしていた。 (あなたもですか……マイヤーさん(;_;)) ちなみに坂井は今回の『恋の日和作戦』のことも香南が麻薬中毒になったこともまだ知らなかった。
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『味の屋』で幕を開けた宴会は。すでに理由など半分忘れられて、中川と真奈美の「新居」に移動していた。 「社長ー、仕事の話をだな……」
などとアーマスが口を挟んだところで、すでに泥酔状態の中川に話が通じるわけはない。 「グレちゃん、堅い話は宴会が終わってから☆ 飲みましょーー。ぐーーーっと空けてください(^_^)。あ、諒さんも飲んで飲んで」
そう言って、ケースで用意されているビールを片っ端から注ぐ。 「私もお酌をします……」
というその声が、聞き入れられるわけもなく唯が飲まされている。 (なぜなんだろう……なぜここに来ると、いつもこうなってしまうんだ) だがそんな気弱なことを言っている暇もなく、野村もまた、次から次へと飲まされて帰る口実を見失っていた。
そしてさらに……宴会は盛り上がる。 「うはははははははははははははははははははははははははははははははははははは」 アブシンベル縁島にその……群島の住人なら、誰でも一度は聞いた事があると言われる笑い声が響いた。 「……こ、こ、この声は……」 幾分酔いも覚めた中川の顔に、すっと影が落ちる。 「いやいやいやいや、中川くん、真奈美くん。MIL企画の新婚旅行計画完遂おめでとう!!!」 なぜかその背中には二十八冊もの本を背負って、三宅準一郎がずかずかと部屋に上がり込んでくる。安マンションの鍵など、MIL特性の「自動開錠装置」を使えばないも同然だった。もし装置の性能が及ばず、鍵が開かなかった場合も自爆装置が作動して鍵もろとも吹っ飛ぶから、失敗はありえないという画期的な装置である。
「きゃーー、おじさま。遊びに来てくれるなんて真奈美嬉しいですにゃ」
そう言って、三宅は背負っていた二十八冊の本をどさどさと床に置いた。 (直に還暦のくせに……よくやるぜ、この爺) 狭いオフィスにただでさえ人間が溢れ返って足の踏み場もないと言うのに、残ったわずかなスペースにうず高く料理百科を積み上げられて……中川はさすがに悪態をつく気力さえ奪われてしまった。
「あ、これ美味しそうやわ(^_^)」 本に女の子たちが一斉にとびついて歓声を上げたのが、さらに面白くない。 「教授、飲みましょ(^_^)」 三宅教授の登場で、終わりかけた狂乱の宴会に、またしても火がついた事は言うまでもない。 「うはははははは」
……という奇怪な笑い声が響く中で、アブシンベル縁島に住む小学生たちは残り少なくなった夏休みの夜を、その声を肴に怪談と花火で満喫していた。 「おっさん、……うはははいいから、この指輪なんとかしてくれよ」 すでにアーマスが潰れ、野村も潰れ、女の子たちが仮眠をとり、生き残っているのは中川と三宅の他、へろへろに酔っぱらって抹茶を点てている忍武と、それを飲んでいる雷、料理百科を読んで今日のメニューを選んでいるアインシュタインくらいのものだった。 「んー?」
手酌でまだ酒を注ぎながら、三宅は顔を上げた。 「通信機として使えるんならともかく、これじゃあ危ねえだけで役に立たないしさ」 こんなものをつけたまま、なぜ中川が空港のチェックを通り抜ける事ができたのかは……謎である。
「ぢゃあ、真奈美くんの分をもう一個作ってあげようか?」 三宅も……結構酔っている(^^;)。
そして、稟がゼロワンSTAFFを訪れたのは、 「そういえば今日って克ちゃんの誕生日じゃない!」 ……と、真奈美が思い出し、引き続いて新たな宴会が盛り上がろうとしていたそのさなかだった。 「………………(^^;)」 潰れたはずのアーマスがたたき起こされ、仕事に行くという雷が引き留められて再び真奈美と衿霞とユッコによる怒涛のお酌合戦が始まったその中に、稟は呆然と立ちすくんでいた。 「店長はんも飲んでください」 衿霞がそう言って稟にグラスを渡し、反論の余地もなくビールを注ぐ。
「グレブリーさん、仕事のことなんですが……」 などと言う会話は、あっという間に真奈美に阻止されてしまう。 「お久しぶりです、店長さん☆ 奈美、九月からまぐまぐバーガーに復帰しますからね☆ ヨロシク。再会を祝して飲みましょ!」
衿霞の注いだビールがまだ半分以上残っているグラスに、さらに真奈美がビールを継ぎ足した。 そして、三十分後……。 「ウチの店でアルバイトの娘たちが麻薬の取り引きに手を染めてるなんて……そしてその麻薬が……ううううう」
ビールのグラスを握りしめて、稟はぽろぽろと涙をこぼした。 「にゃ☆ 店長さん、かなしーのは飲みが足りないせいですよ。がんがん行きましょ」
そして、真奈美も懲りない奴だった。 「だいじょーぶ☆ 真奈美は三宅のおぢさまにも太鼓判を押して貰った正義のスーパーヒロインだもん。衿霞ちゃんや唯ちゃんや諒ちゃんと力を併せて……えーとそれから忍武さんや雷さんやグレちゃんや克巳ちゃんと……なんかすごくいっぱい味方もいるし……心配する事なんか、なぁーーーーんにもないですにゃ(^_^)」
扇子を取り出して煽り立てる三宅の声援をバックに真奈美がそう力強く宣言した。
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