三日月迅とシータ・ナサティーンが『ラブシック=麻薬の名称らしい』という推理をぶちかまし、夜木直樹が軍事学部生C殺人未遂事件の現場写真から麻薬とサクマドロップスの関連に気付いたその一方で、ゼロワンSTAFFのスパイたちはまだスタート地点付近をのろのろとウォーミングアップしていた(^^;)。
すでにアルバイトとしてまぐまぐバーガーへ潜り込んだ結城唯、大西諒、白葉衿霞の三人も、洋上高校付近に網を張って情報が飛び込んでくるのを待っている沫雷も、まだ推理や直感のひらめきに漕ぎつけるだけの獲物を釣り上げてはいなかった。 「俺も香南の為にひと肌脱ぐっ!」
……とばかりにこうしてゼロワンSTAFFを訪れてきたのである。
そしてもうひとりの応募者は、加賀美忍武と名乗った。 「私、実は貧乏してまして、群島で一旗揚げたっていう噂を聞いて引っ越してきたんです……が、やっぱり世の中そう甘くはないですね」
とりあえず自己紹介も仕事の話も終わって場が和んできたときに、忍武はそうぽそっともらした。出稼ぎに行った先で食い詰めるという……良くあるタイプの性格らしい(^^;)。どこか古風なところのある礼儀正しい青年なのだが、ちょっと間が抜けている。 「今度私が、美味しい抹茶を持ってきますよ」 などとさらりと言ってのける辺りの順応力はハンパなものではない。
休日で店には出ていないものの、やはり麻薬取り引きの事が気になってじっとしていられなかった稟が、調査の進み具合を確認しようとゼロワンSTAFFを訪れたのは、ちょうど忍武が抹茶の話を始めた頃だった。
「……ああ、ちょうどいいところに……。今、新しい応募者が来てるんですよ」 稟はそう言って、アーマスに案内されて室内に入った。 「えーと、こっちが大学生の広田秋野くん、こっちがフリーターの加賀美忍武くんです。……こちらが今回の依頼主のまぐまぐバーガーの店長の高梨さんだ」 そのアーマスの紹介で、広田と忍武、そして稟は向き合って膝を正した。
「初めまして、広田秋野です」 そう言って、広田と忍武が深々と頭を下げる。 「ご丁寧に、どうも……。縁島洋上高校前店の店長の、高梨稟と申します。よろしく」
今度は、稟が頭を下げた。
「あ、ども……」
頭を上げようとして、稟はその二人のお辞儀に、また頭を下げる。 そしてその三人の奇妙で、どこまでも日本的な習慣を、アーマスは呆然と見つめていた。
「あ……いや……痛み入ります」
俺が止めなければ……一生これが続くような気がする。 「あのーー、挨拶はその位にしてですね、仕事の話を……」 その声に、三人が一斉に頭を上げた。 「あ……」
軽い目眩を覚えて、稟が身体をふらつかせた。畳に額をこすりつけるほど丁寧なお辞儀をしつこいほどに繰り返したのだから、無理もない。
「だ、大丈夫ですか」
そう答えながら、稟は耳まで真っ赤になっていた。 (お辞儀くらいで貧血を起こすなんて……私には似合わないわ。初対面の男性の気を引くあさはかなお芝居だって思われたに違いないわ) なんだか……泣きたい気分である(^^;)。 「店長殿のお茶は私が入れましょう。お台所をお借りします」
そう言って忍武が立ち上がり、キッチンの方へ向かった。 (笑い者にすまいと気を使ってくれたのね。このご恩は一生忘れないわ) そしてその稟に対してアーマスと広田と忍武が抱いた思いは……、 (この頼りなさそうな女性が、店長なんてやってるようには見えないよなあ) というその一言に尽きた。
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「店長はん、お客さんどすけど……」 オフィスで売り上げの計算をしていた稟に、京訛り丸出しの衿霞が声をかけた。 (小泉くんと言い、白葉さんと言い……どこで覚えてくるのかしら……)
……という疑問は、すでに面接の時にたっぷりと感じた。
「お客さんってアルバイト希望の方かしら?」 衿霞は一瞬、言葉を失った。
「あ、いえ……やくざ?」 そう言った稟の顔は……“私は気丈な女なのよ”と自分に言い聞かせつつも、気弱そうに震えている。 「心配せんと大丈夫です。もし押し売りがきたら、うちが守ってあげますから」
衿霞はそう言って、人懐っこい笑顔を向けた。 「優しいのね、ありがとう」 衿霞の事を軽く抱きしめ、稟は臆面もなく言った。
「……で、お客さんどすけど……なんや、大事な話がある言わはって。お店の方で会われます? それとも、こっちへお通ししたらよいでしょうか」
衿霞の言葉に、稟の表情が堅くなった。
「じゃあ、そうね。こちらへ入って頂いて。……できるだけ目立たないようにね」 衿霞が身を翻して店の方へ出て行くのを見送って、稟は小さくため息をついた。 (しっかりするのよ、稟。しっかりしなさい。このお店で麻薬の取り引きが行われているかも知れないって言うのに、こんな気弱な事でどうするの。アルバイトの子たちやお店に来る高校生を守らなくちゃいけない私が、逆に守ってあげる、なんて言われて……) 「高梨稟さん……だな?」
突然そう声をかけられて、目の前の男を見上げた瞬間、稟の目が点になった。 「……」 いわゆる、声も出ないという状態である。
「軍事学部で助教授をしているハインリヒ・フォン・マイヤーだ。ゼロワンSTAFFのグレブリーの紹介で……どうした?」
一歩、稟は後ずさった。 「…………」
マイヤーもまた、言葉を失ってしまった。
「……顔色が悪いが、持病でもあるのか」 そう低く否定して、マイヤーは勧められた事務用の椅子に腰を降ろした。
そしてその頃……。
「店長の恋人かなあ」 噂話に盛り上がるアルバイトたちを横目に、ただひとり衿霞だけがその輪の中に入らず、店内のキャビネットや調理台の影などに目を配っていた。だが、アルバイトとしてこのまぐまぐバーガーに潜入してすでに一週間にもなるというのに、未だに麻薬の噂はおろか、サクマドロップスの缶を見かける事さえないままだった。
「お願いです。……その麻薬中毒になったと言う女の子に会わせて下さい」
マイヤーから香南の禁断症状についての詳しい話を聞き、稟は蒼白になった。そして日頃の彼女からすれば考えられないほど積極的な願いを初対面の男に申し出たのだ。
マイヤーと稟が中央病院に来たとき、内科病棟ではちょっとした騒動が持ち上がっていた。 「……患者さんの姿が見えないんです。ええ、屋上も、休憩室も探しましたけど……」 慌ただしく走り回る看護婦たちのもらした言葉をふと耳にして、マイヤーは嫌な予感を感じていた。 (まさか……香南が)
そして、マイヤーのその予感は的中していた。 「分かっているだろうが、非常に危険な状態だ。ようやく禁断症状が収まりかかってきたところだというのに今また薬に手を出したりしたら、もとの黙阿弥だ」
津久井はマイヤーを責めようとは思わなかった。警察病院に入院させ、適切な処置をしていればあるいは……という考えは捨てきれなかったが、今更それを言ったところでどうなるものではない。 「……顔色が悪いね。心配ごとがたまって疲れているんじゃないのかな? 店で麻薬の取り引きが行われているかも知れないという不安も分かるが、食事や睡眠はきちんと取らないと……」 そう言って、津久井はソファに腰を降ろした稟の顔をのぞき込んだ。
「いえ……大丈夫です。私がしっかりしなければ、店の子たちを守る事はできませんから」
何気なくそうもらして、津久井は稟の肩に手を置いた。
ちなみに、津久井加奈子はその落ちついた風貌から男性に間違えられる事が多い。しかし……歴とした「女医」である。
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病院から姿を消した香南を探す……と言っても、マイヤーにはそれほど当てがあるわけではなかった。 「マイヤーさん」
ラウンジに入ったマイヤーを見つけて、広田がそう声をかけた。
「……香南の様子、どうですか? 見舞いに行こうかな、とも思ったんだけど……かえって迷惑なるかもしれないし、迷ってたんです。実は俺……ゼロワンSTAFFのスパイ募集に応募したんです。何か……役に立てればな、と思って。とは言っても、……明日からインドへ行く事になっちゃって……行動を開始できるのは、帰ってきてからなんですけどね」
そう言葉を濁してマイヤーはスツールに腰を降ろし、コーヒーを注文した。
「薬物の正体は……分かったんですか?」
ブランデーティを口に運んで、広田はそう小さくもらした。 「そういえば……ルイスは何かを知っているようだったな」
時折このSNSに現れるルイスとは、マイヤーも何度か顔を会わせた事がある。 「俺、ちょっとルイスの事を調べてくる」 そう言って、飲みかけのブランデーティをその場に残したまま広田は立ち上がった。 マイヤーは熱いコーヒーゆっくりと飲んだ。ひりひりと苛立った胃袋に、その味が苦い。 (どこにいるんだ……香南)
広田は行動的な男である。 「ルイスはいるか」 公営住宅の葉月の部屋をノックして、顔を出した黒沢世莉にそう言い放ったのは、SNSを飛び出してから三十分も経たないうちだった。 「いるけど……」 その世莉の背後から、広田の大声を聞いてルイスが顔を出した。
「ルイス……きみは薬の研究をしているって言ってたよな?」
ルイスの表情が「サクマドロップス」の一言で変わった。
「香南が薬物中毒で入院している。……知ってたんじゃないのか、香南の事を?」
広田は、あるいはサクマドロップスの缶に入った麻薬にルイスが一枚噛んでいるのではないかという疑問も抱いていた。
「やっぱりそうだったんだね。……最近姿が見えないし、ちょっと前に見かけたとき様子がおかしかったから、何となくそういう感じがしてたんだ」
ルイスもまた……麻薬の事を調べていたのだと聞かされて、広田はちょっと肩すかしを食らったような感触を味わっていた。
広田と別れた後、ルイスは自分の部屋に戻り、パソコンの端末に向かった。 『【ラブシック】 薬物の名称か?』
という文字が映し出されていた。 「香南が入院……か」
モニターの横にまだ起きっぱなしになっているサクマドロップスの缶をこつっと指先でこづいて、ルイスは小さく呟いた。
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コーヒーを飲み終えてマイヤーがSNSを出るのと入れ違いに、三日月迅と広川庵人はトレーニングの後のシャワーを終えて休憩しようとラウンジに入った。 「なにか心配ごとでもあるみたいだな。心ここにあらず……そんな感じだったぞ、今日のトレーニングは」 注文したアイスティーをゆっくりと飲みながら、広川はそう言って三日月の顔を見つめた。三日月は余り表情を表に出す方ではないのだが、その顔が、いつもより暗くかげっているように見える。 「ラブシックって言葉が……頭から離れなくて。まだまだ未熟だな、ぼくも……」 三日月はため息をもらした。 「ラブシック?」 そう聞き返して、広川の顔は意外そうな表情になっていた。
「知ってるんですか? 広川さん」
広川は言葉を詰まらせた。 「詳しく教えてください」
三日月はテーブルに身体を乗り出すようにして広川に詰め寄った。
「噂を聞いた事がある」
とかいった、信憑性の薄そうな噂話ばかりだった。 「おまじないの薬だもん。効き目だって大した事ないって」 という反応と、 「すっごく効くっていう噂だけど……。麻薬みたいに禁断症状になるっていうし、自分で試そうなんて……ちょっと思えないなぁ」
という反応にきっぱりふたつに分かれていた。 「分からない」 の一点張りだった。
こういう質問をぶつけられた時の、「私の友達」や「ちょっと聞いた話しなんだけど」という答えは……それが自分の体験談である事が少なくない。
ラブシックが麻薬であるというシータの推理は……おそらく正解だったのだ。
「きみの推理は当たっていたようだよ、シータ。広川さんが取材でその情報を掴んでいたんだ。まだ詳細は不明だが、ラブシックってのは女子高校生を中心に広まっている新手の麻薬らしい」
テーブルをとんとんっと指で叩き、シータはちょっと考え込んだようだった。
三日月からの通話を切った後、シータはもう一度ラブシックの情報を見つけ出したデータベースにアクセスした。 「……そんな、バカな」
シータが発見したあの情報はきれいに削除されてしまっていたのだ。 (いったい誰が……)
それはおそらく……ラブシックについて、なにか重大な事実を知っている者の仕業だろう。あるいは女子高校生たちの間に広まるその麻薬の供給源が組織ぐるみで情報を握りつぶしたのかも知れない。
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洋上高校からそう離れていないところに、沫雷は露店を出していた。 だが、アクセサリーの露店が繁盛している割に、得られる情報は少ないものだった。二、三人の少女が、サクマドロップスの缶に意味あり気な視線を投げかけたことはあるのだが、世間話にまぎれて麻薬の方へ話を持っていても、なかなか手ごたえのある返事は返ってこなかった。 「商品もあらかた売れたし……今日は店じまいだな」
そうひとりごちて沫が片づけを始めようと腰を上げたとき、アーケードのショウウィンドーをのぞいていた少女が、沫の露店に気づいて近づいてきた。 「ラブシック、売ってるの?」
ちょっとかすれた声が、そう沫に問いかけた。
「ラブシックって……なんだい?」
沫はしらを切ってそう、そっけない口調で言った。ドロップスの缶を開け、少女に一粒差し出す。 (……麻薬の、中毒患者か) ラブシックと言うのが、ドロップスの缶に入れて取り引きされている麻薬の名前なのだと沫は気づいていた。
「もう店じまいをするところなんだ。今日最後のお客さんだな。特別サービスで、ただで針金のネームバッヂをつくってあげるよ。……名前は?」 そう、小さく香南は答えた。 「でも……バッヂはいらない。もし作ってくれるんなら、これに鎖つけて欲しいんだけど」
香南は沫の表情をうかがうようにしながら、ポケットに手を突っ込み、そこに入っていた二発の薬夾を取り出した。 「……宝物なんだね」
笑顔を作って香南の差し出した薬夾を受け取り、沫は小さく言った。
「彼にもらったの?」
小さく、香南は言った。 「そうか。……寂しいね。ラブシックっていうのも、宝物なのかい?」 あえて追求はせずに沫は作業を続けた。さりげなく話題をラブシックの方へ向ける。
「ラブシックはね、恋のおまじないの薬」 沫は鎖を扱っていた手を止めて、香南に言った。
「え?」 そう沫に言われてはじめて気づいたように、香南は左手を差し出した。きらきら光るシルバーの飾り鎖に薬夾を通したブレスレットを、沫は香南の左手につけてやった。 「ありがと」
香南はそう言って、左手の鎖をうれしそうに見つめた。 (「ラブシック」、「かなん」、「さくら」……キーワードとしては大収穫だな。これでようやくグレブリーさんに報告ができる。そして多分、ラブシックの正体は……)
ラブシックは恋の夢を見る幻覚剤だ。
地下鉄の駅に入ったとき、香南はあの暑い日に感じたのと同じ、身の毛のよだつような強い悪寒を感じた。 (まるで麻薬みたいだ……)
トイレの個室に入ってドロップスの缶を開けながら、香南はそんなことを考えた。 『それが終わってまだ薬が欲しかったら、そのときは売ってる店を教えてあげる』
桜子はそう言って、店で売っているのだと言う試供品ではない缶を見せてくれた。 (桜ちゃん……どこに行っちゃったんだろう。……ラブシックって……どこで売ってるんだろう)
缶から取り出した十粒近い錠剤をまとめて口に放り込んで、香南はそう口の中で呟いた。 (まーちゃん……)
戦争に行ってしまったと思っていたマイヤーが、まだ日本にいるのだと、香南はふと思い出した。 汗に濡れて額に貼りつく前髪を、香南は神経質に払った。その手首で、さっきもらった銀色のブレスレットがさらっと軽い音を立てた。
地下鉄の駅のコインロッカーを香南が倉庫代わりに使っているのだと言うことはマイヤーも知っていた。 (香南にも……制服を用意してやらなければな)
その少女たちの後ろ姿を見送って、マイヤーの意識にそんな考えがふっと浮かんだ。 (それまでに、快復してくれればいいのだが……)
マイヤーはゆっくりとした足どりでコインロッカーのコーナーへ歩いて行った。 (どこに行った……香南!)
やり場のない怒りが全身に満ちていた。
そのとき、切符売り場から無人改札を通ってホームへ向かう香南の姿があることにマイヤーは気づかなかった。
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8月24日――。
九月から2年に進級するクラスへの編入を希望している生徒は、今回の試験では二名だった。
また、仁科がため息をついた。 (……仁科先生は、優しくて頼りがいのある先生だって聞いたのに……なんだか元気がないみたい)
修子はすでにこの群島で何人かの友人を作っていた。
試験が終わったの時には、すでに昼食時近くになっていた。
「私、まだここに引っ越してきたばかりで、あまりお友達もいないの……。学校へ入っても……みんなと仲良くできるかどうかちょっと不安だったの」
修子の笑顔に安心したように、詩織も笑顔を浮かべた。 「済まないな、すっかり遅くなって……」 そう言って仁科が教室に戻ってきたのはそのときだった。 「いいえ、いいの。待っている間に詩織ちゃんとすっかり仲良くなったもの。ちょっとお腹すいちゃったけど」 修子がにこっと笑顔を仁科に向けた。
「そうだな……もうこんな時間だ。じゃあ、先生が昼ご飯をご馳走しよう。杜沢くんと小岩井くんが仲良くなったんなら、その記念に……どうだ?」
そう声を上げたのは詩織の方だった。
「喜んで。……あの、まぐまぐバーガーでもいいですか? 私、ちょっと人と待ち合わせしてるから」
そう言って、仁科はちょっと苦笑した。 「彼氏なんかじゃありませんよー」 修子はその仁科の言葉に、いたずらっぽく微笑んでそう言った。
仁科が修子と詩織を連れてまぐまぐバーガーに入ってきたとき、洋上高校生の高橋聖羅はドイツ人の少女を連れて同じ店内で食事をしていた。 「あの人誰? 聖羅お姉ちゃん」 交換留学生として群島にやってきたハーツェリンデ・モントフェルトは、姉のように慕っている聖羅にそう耳打ちした。
「ん? ああ、私の行っている学校の先生よ、うさぎちゃん」
うさぎちゃん……というのはハーツェリンデのニックネームだった。 その時、カウンターに入っていたのは唯だった。 「ご注文をどうぞ」
すでに唯は、年季の入ったアルバイトと同じように営業スマイルを身につけている。しかし、アルバイトの仕事は上達しても相変わらず店内での情報はまったく掴めていなかった。
注文を終えて席に行こうとする仁科と詩織からはちょっと離れて、修子は店内を見回した。 「すみません。あのー、待ち合わせをしてたんですけど……」 修子はカウンターの唯にそう声をかけてみた。
「待ち合わせ? もしかして杜沢修子さんですか?」 そう言って、唯はさっき店の客――30位のきれいな女性だった――に預けられたメモを修子に渡した。 メモには、 次に会えるのを楽しみにしてるわ ――M』
という文字が記されていた。 「修子ちゃん。待ち合わせの人、いないの?」 仁科と詩織の座っているテーブルに近づいてきた修子に、詩織がそう声をかけた。
「うん。急用ができたみたい。……残念」 メモに顔を近づけて、詩織が言った。
「ナルシス・ノワール?」
フローラルとムスクの混ざりあったその不思議な香りが、あの人によく似合うわ。
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