00004 92-08-17 05:01:40 GL-S0001
Act1-4;恋のダイビング

 

 8月14日未明、縁島第一中学校に通うB子さん(13歳)が自宅のあるマンション『アブシンベル縁島』屋上から飛び降り、自殺した。

 A子の殺人未遂事件と並んで報道されたそのニュースは、小さなものだった。
 高梨稟が雷鳴におびえながら読んでいたニュース記事は彼女の自殺と、
『先輩が振り向いてくれない』
 という、遺書めいたメモの存在を小さく伝えていただけだった。
 メモに書かれた『先輩』が誰なのかは、警察にも家族にも皆目見当がつかなかった。
 失恋のための自殺らしい……と週刊誌はそのメモから記事を作ったのだが、同じクラスの友人や、B子が特に親しくしていた近所の少女たちにいくら事情を聞いても、自殺に至るほどの深刻な失恋をするような交際をしていた相手はいないのである。

証言(1)(B子の母親)
 『ボーイフレンドがいるなんて話は……全然聞いていませんでした。娘がこんなことをするなんて…………今でも信じられなくて……。悪い夢を見ているようです……』

証言(2)(友人)
 『バスケットボール部に憧れてる先輩がいるって、ちょっとだけ言ってたことあるけど……。でもその先輩に彼女がいるの知ってたはずだし、話をしたことも、手紙出したこともないって言ってたし……。憧れてるって言ってもね、彼女になりたいとか、そーいうんじゃなくて、アイドルとかみたいな感じで、ただ見てるだけで良かったみたい。失恋って言うけど……別に誰かとデートしてるとかって話も聞いたことないし……』

証言(3)(バスケットボール部の男子)
 『……全然、名前も知りませんでした。写真を見て、よくクラブの試合を見に来てた子だなあってのは分かったけど、しゃべったこともないし、……本当に全然知らないです』

 B子は決して目立つ生徒ではなかった。
 いや、どちらかと言えばクラスメートの中にも、彼女と話をしたことはないという者がいるほどの……内気な少女だった。
 彼女のしたためていた日記には、
『先輩とデートをした』
『今日はふたりで映画を観た』
『こんな幸せな夏休みは生まれてはじめて』
『先輩が海へ行こうと誘ってくれたので、新しい水着を買った』
 などとデートを繰り返していたような記述があるのだが、母親の記憶や、友人たちとの外出などの証言と突き合わせてみると、B子がデートをする時間などまるでなかった。
 夏休みに入ってからもB子はあまり外出らしい外出などしてはいない。
 親しいごく小数の友人の家を訪ねた他は、ほとんど家で読書と趣味のレース編みに没頭していたのだ。
 母親が部屋の中を探してみても新しい水着は見つからなかったし、彼女が『先輩と観た』と日記に書き記している映画は、去年の冬に家族と見たものだった。
 日記に書かれている日付にその映画を上映した映画館は、少なくとも群島内には一軒もない。
 デートの相手として最初に疑惑の目を向けられたバスケ部の男子生徒は、夏休みの間中、友人との旅行やクラブの練習、それに親しくつき合っているガールフレンドとの外出などで多忙であり、『映画を観た』という日以外のアリバイは完全なものだった。

 結局B子の自殺は、『多感な少女の衝動的な自殺』ということで片づけらてしまった。日記に書かれていたデートについては、彼女の空想によるものだ……と結論めいたものが出された。
 事件性はきわめて薄く、警察もマスコミも、手がかりの少ない事件からさっさと手を引きたがった……というのが本音だろう。
 十万円ほどあったはずのB子の貯金が、半年前から五千円ずつ引き落とされ、すっかりなくなっていた事については、警察も家族も友人も……誰も疑惑の目を向けようとはしなかった。
 葬儀の準備を整えるためにB子の個室を覗いたときに押入から大量にサクマドロップスの缶を見つけたときも、母親は余り気にとめてはいなかった。
 B子はもともと、きれいなクッキーやキャンディーの包装紙を集めたり、ギフトショップのおまけをため込んだりしていたので、ドロップスの缶もそのコレクションの一部だろうくらいにしか考えてはいなかったのだ。


 同じ日に報道されたにも関わらず、A子の殺人未遂とB子の自殺との間にあるつながりに気付いた者はいなかった。A子とB子には友好関係もなく、ふたつの事件は、表向きはまったく無関係な様相を呈していたからだ。
 ふたつの事件を関連づけた雑誌がひとつかふたつなかったでもないのだが、それも、
「現代の病んだ社会で、子どもたちが……云々」
 という、見当違いなものだった。

 だが、警察ともマスコミともまったく関係のない場所に……ふたつの事件の関連性に気付いた者がひとりだけいた。縁島の公営住宅の自室で、ルイス・ウーは朝から何度も繰り返してその記事を読み比べていた。
 ふたつの事件に関わっているのはどちらも十代の少女であり、「失恋」を理由に事件を起こしている。
 しかも……衝動的に。
 失恋という事実などないのにも関わらず、だ。
 事件を伝える記事はどちらも短いものでサクマドロップスの缶についてはなんら触れてはいなかった。
 A子の自宅を調べた警察官も、ダイニングボードから雪崩落ちていた缶を見てはいたのだが、まさかそんなものが事件と直接の関係を持っているなどとは考えもしなかった。
 もともと縄張り争いの激しい警察内部で、縁島と豊島で起こったさほど重大でもない事件の詳細な資料が交換されているはずもなく、サクマドロップスの缶の存在を知っているのはB子の母親と、A子のマンションに駆けつけた警察官、そして群島中央病院で精密検査を受けている軍事学部の生徒Cだけのはずだった。
 しかし、ルイスはその記事を読んだときに、直感的にそれを悟った。
「……ラブシック」
 小さく、ルイスの唇からその言葉が洩らされた。
 そして彼はモニターを消して立ち上がった。水の入ったグラスを取ろうと手を伸ばしたとき、モニターの横に置いてあったサクマドロップスの缶が、かたんっと音を立てて倒れた。
 完全に閉まりきっていなかった蓋が外れ、中身がテーブルに転がり出す。
 缶の中に入っていたのは表面に印刷された色とりどりのドロップスではなく、淡いピンク色の糖衣錠だった。