どこにでも……オーバースペックなやつは存在するものだ。
例えば洋上大学附属高校に通うA子は……まさしくそういう娘だった。
金に糸目をつけないA子の性格は、バブル経済華やかなりしころに土地転がしとゴルフ場会員権で大儲けした祖父と、あからさまにその金目当てに結婚した祖母から受け継いだ者であるに違いない……と、両親はつねづね涙ながらに語っていた。
そしてこのA子こそ、稟が読んでいた『本日のニュース』に登場した、
『女子高校生、殺人未遂……その奇行』 の張本人なのである。
学校帰りにまぐまぐバーガーに友人を引き連れて現れては大盤振舞に継ぐ大盤振舞を繰り返し、稟のボーナスにも大きく貢献してくれた得意客ではあるのだが、『本日のニュース』に報じられた殺人未遂犯の少女と、大盤振舞娘を結び付けるだけのインスピレーションを鈍感この上ない稟に与えるだけの詳細は、その記事には記されていなかった。
記事によればA子は洋上高校でも評判の器量で、その気前の良さから多くの友人を持っていたのだという。
さらに、記事には書かれていなかったことが、A子は体重が1キロ増えたと言ってはダイエット食品を買いあさり、痩身術に惜しげもなく百万近い金をつぎ込んで、にきびがひとつ出たと言ってはエステティックに通い、家庭教師を五人も雇って成績をクラスの半ばほどに保って熱烈に洋上大学軍事学部への進学を希望していた……本人に言わせれば「ごくごく平凡な」高校生だった。
こんなエキセントリックな高校生が「平凡」な訳はないだろう……という怒りは、ひとまず余所に置いておこう。
事件は、8月12日の深夜に起こった。 洋上大学軍事学部の学生Cは、仲間数人と飲んだあと、一緒に飲んでいたA子にせがまれて彼女のマンションを訪ねた。
A子の実家は群島区炉島にあるのだが、 「ひとり暮らしがした〜い」
という彼女のたっての希望により豊島マリーナに程近い豪華マンションを借りて住んでいた。
CはA子とは特に親しい間柄ではなかったが、洋上高校生の多くがそうであるように、A子も進学希望である軍事学部によく顔を出していたため、以前から顔見知りだった。仲間数人と一緒にA子も交えて酒を飲んだのも、今回が初めてだったというわけではない。
軍事学部の生徒にとっても、A子は「いい金づる」だったのだ(^^;)。
そこそこ美人で、その金払いの良さも手伝って一部学生のアイドルだったA子に誘われれば、Cだって悪い気はしない。
「据え膳食わぬは男の恥じゃ」 と、酒の入った勢いもあって、誘われるままにA子のマンションへと向かったのだ。
A子は飲んでいる最中も呆れるほどに陽気だった……と、居酒屋でA子やCと一緒に飲んでいた連中は口を揃えて証言している。
……が、マンションの部屋に入った頃から、A子の様子は変化を始めていた。
いきなりソファ(注/イタリア製、本革張り)につっぷして、さめざめと泣き始めたのである。
狼狽えるCに、 「あなたはずっと私の事だけを思ってくれていると信じてたのに! 私の身体だけが目当てだったのね」
と訴え、ヴェネチアングラスやマイセンの食器をひとしきり破壊しまくった挙げ句に、
「他の女に心変わりするなんて……私の魅力が足りなかったのね」
と言って、化粧を始めた。 その場に居合わせたCが、困惑したのは言うまでもない。
私の事だけを思ってくれると……などと言われるほど、A子とは親しくなかったし、マンションに入ったばかりでまだ事に及んでさえもいない。もちろん、それが目的でついてきたのだろうと言われれば……弁明の余地はないのだが……(^^;)。
涙で崩れた化粧をきれいさっぱり洗い落として(素顔の方が可愛い、と不覚にもCはその時に思った)、高い化粧品を惜しげもなく使ってメイクを済ませると、A子は二十代に見えるほど大人っぽかった。
そして酒とタバコの匂いの染み着いてしまったシャネルのスーツを脱ぎ捨てると、新しい服に着替えた。
Cの狼狽は、さらにエスカレートしていた。 いきなり下着姿を見せつけられた上に、A子は扇情的なボディコン姿となり、冷凍庫から大トロの巨大な短冊を掴み出してCに殴り掛かってきたのだ。
「……!」 とっさの事で何も対処できず、Cは後頭部にもろに短冊を食らった。
冷凍肉で夫を殴り殺して、現場に駆けつけた警察官にその肉を焼いて食べさせた……という推理小説を読んだことがあったような気がする。しかし、Cがその時に考えていたのはもっと別の事だった。
(ああ、格闘技の訓練をさぼるんじゃなかった……) だが、後悔とはいつだって先には立たないものなのである。
殴り倒された衝撃でCはマホガニーのダイニングボードに激突し、さらに頭部を強打し、割れて飛び散ったガラスで額を切った。
朦朧とする意識でダイニングボードの扉を掴んだとき、勢い良くその扉が外れ、その中にぎっしりと詰め込まれていたサクマドロップスの缶が雪崩落ちてきた。
そしてそのまま、Cはサクマドロップスの缶に埋もれるようにして気を失った。
A子が、 「私、恋人を殺しました」 と言って派出所に出頭してきたのは午前4時過ぎだった。
証拠隠滅を計ろうと大トロの短冊をひとりで平らげ、胸やけのために青ざめた顔つきで現れたために、派出所に徹夜で詰めていた警官は、口から心臓が飛び出すほどに驚いた。 衝動的に犯行に及んだ殺人で、被害者がまだ生きているのに死んだものと誤解してしまうことは少なくない。
警官はその場合も考慮して救急車を呼び、A子のマンションへと駆けつけた。
そしてサクマドロップスの缶に埋もれて脳震盪を起こしているCを発見したのだ。
かちかちに凍った大トロの短冊で何度も殴られ、さらにダイニングボードのガラスであちこち切っていたため、無事とは言い難い姿だったが……ともかく軍事学部の学生Cは、生きていて、群島中央病院へと収容された。
そしてA子は取調室で、運ばれてきたカツ丼にはまったく手をつけようとせず、殺人の動機を訪ねられても何も語ろうとはしなかった。
「黙ってたんじゃ何も分からないぞ。殺人にこそはならなかったが、立派な傷害事件なんだぞ」
怒号を押さえて詰めよる取調役の刑事に、A子はただ苦しい胸を押さえて、
「中トロにしておけば良かった……」 と呟いたのみだった。
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