act.3-5;恋の思い出
「……葉くん。白葉くん!」

「……え?」

「こぼれとるぞ」

 バイオスフィア計画の主幹・三宅準一郎基礎工学部教授は、白葉透教授の手元からだぷだぷとあふれでる冷や酒を見つめながら言った。

「……あ。あっ、こりゃいかん。茄子、なすー! 床にこぼれてしまったが、飲まないか? おーい、茄子!」

「君んとこの黒猫だったら、さっき向かいのスペイン人の家の娘が抱いていたぞ」

「えっ? そうか、ジーラですな……ううむ、しかたない。布巾布巾……っと」

 立ち上がりかけた白葉教授は、足元に置いていた夜明け前に蹴つまずき、瓶の中身を囲炉裏端にまき散らした。

「おわーっ!!」

 白葉教授は布巾を取りにキッチンへあたふたと駆け込んでいった。部屋の奥からガランゴロンと鍋やかんの転げ落ちる音がする。

「……だいぶ重症のようだな」

 三宅教授は深い深いため息をひとつついた。

「先週の宴会の後から、どうにもキミの様子がおかしいと思っていたら……聞いたぞ。AS短波の『久美子の部屋』のインタビュー」

「いや…………」

 今、白葉透の心を占めている少女の名は中嶋千尋といった。あのメガネと地味な出で立ちの下には、年頃の女の子らしさが包み隠されているのかもしれないが、ひときわ目立つところがあるでもない少女だった。
 白葉の愛猫・茄子を抱いて雨の中から現われた、迷い猫のような少女。 『妻にしてください』という言葉だけを残して、雨の街中へふっつりと姿を消してしまった少女。
 交わした言葉はお互いを知るには足りなすぎ、共にした時間は思いを知るには少なすぎた。

「いや、特別な話をしたわけではないんですよ。ただね、向かいのジーラくんがたまたまその『妻にして……』というくだりだけを吹聴したというだけのことでして……おかげで花火は打ち上げられるわ、祝い垂れ幕は下げられるわ」

「で、今は行方がしれないわけかね?」

「え? 茄子がですか?」

「猫のほうじゃない。その、あーなんだ? 中嶋くんといったか? 君の妻になりたがってる娘の方だ」

「え、ええまあ。いや、妻だなんて……でも荷物置きっぱなしだから、いずれひょっこり現われるんじゃないかと……」

「こらこら。顔を赤らめてドギマギするんじゃないっ! ……うつむいてのの字を書くのもやめろ!」

 農業工学科の学生が聞いたらどういう顔をするだろう。いい歳をした中年男が25歳も年下の少女に恋患いなど……。
 三宅教授はぐいのみの口をふっと吹いて夜明け前を注ぎ、白葉教授の前に置いた。

「あれからもう十年……じゃ足りないくらい経っているのに、まだ文恵くんのことが忘れられないかね」

「……ふみえ……大竹文恵ですか? 懐かしい名前ですな。とても長いこと忘れていましたよ」

 白葉教授の本気の恋が破れて、もう何年たつだろう。
 その名を口することはまれだったが、かつて白葉教授には心の底からの想いを捧げた女性がいた。夏のような女の子だった。
 だが、その女性は金居祐三教授の子を産み、そして大学を去った。

「いや……やっぱり、彼女のことはもう忘れました。彼女は私ではなく金居さんを選んだんです。そして大学を去っていった。もう過去の人ですよ」

 大竹文恵に白葉の思いは届かなかった。言葉はなくても想いは届くという理想は、いつの時代も男の中だけで息づく勝手な幻想に過ぎなかったのかもしれない。確かめることはできなかったが、言葉にしなければ想い届かないものだということを知るには、白葉はまだ若すぎ、そして初すぎた。

「あれは文恵くんが金居を選んだんじゃない。金居が文恵くんをさらっていったんだろう。ワシも何度もやられてるからな。金居には……」

 金居教授は手が早い。
 白葉はそのたった一度の本気の恋をくじかれたダメージの大きさから、金居教授に彼女を寝盗られた経験は一度で済んだ。が、三宅教授は目を付ける女性を次々に金居教授にひっさらわれてきたのである。
 しかし、金居教授のフォローをしておくならば、彼は決して手が早いというだけではないのである。女にマメで、彼女達がもっとも求めているものが何かを嗅ぎつける能力に優れていたというだけのことなのである。安らぎを求めている女には安らぎを、言葉で聞かなければ安心できない女には優しい言葉を……。

 大竹文恵のときも同様だった。白葉教授は、もっと果敢にアプローチをすればよかったのだ。文恵は白葉のことを見向きもしなかったわけでは決してなかった。むしろ、自分が白葉に向けていた想いをいつ白葉が気付いてくれるかと、待ちこがれていたのだ。不幸なことに、白葉自身も同じ想いを文恵に向けていた。二人はお互いが気付いてくれるのを待って待って待ち続けていたのだ。
 金居教授は、そのとき文恵の想いを感じとりそしてそれに応えた。文恵は自分の呼掛けに応えてくれた金居に心惹かれた。少しでも応えてくれる人を……孤独な心を救ってくれる人を……。
 一途でウブだった白葉教授には、研究や恋をいっぺんにできるほど器用にはなれなかった。そして、今もそれは何一つ変わってはいない。

「中嶋くんはどうするのかね」

「あの晩は酒も飲ませてましたし……きっと、いっときの気の迷いから出た言葉でしょう。ほとんど言葉も交わせませんでしたし、そのことばかり気にしすぎて、私が勝手に舞い上がっとるだけです。そうに決っとります」

「君、本当にそれで納得できておるのかね?」

 白葉は自問自答する。

(……私はもう恋はしないと誓ったはずだ。あのときに……。それに、もう恋に恋する歳でもあるまいし。しかし、私は、私のことはいい。あの娘はどうだ。
 まだ二十歳そこそこの若さがある。一時の気の迷いで、こんな老齢に近づきつつある中年男のために、人生を棒に振らせるわけにはいくまい。
 それに、私には研究がある。果たさなければならない使命がある!)

「……私には研究があります。三宅さん、一緒に宇宙へ行くんでしょ? 我々は、そのために一生懸命、研究に研究を重ねているんじゃありませんか! 今、女なんかをかまっている暇はないはず!」

「しかし、一人の夜は寂しいだろう」

「なんの、私の側には茄子がいます! 寂しくなんぞありませんわ。うはははははは!」

「じゃ、あの娘の側には誰がいるのかね? 今どこにいるのかね? 白葉透という男は、道端で鳴いている仔猫をその腕に抱かずに見過ごすことのできる男だったのかね?」

 茄子と千尋の姿がダブって脳裏をかすめた。
 小さなそして寂しそうな姿。

「……」

「……そうか。ところで、さっきそこで金居に会ってなぁ。キミがあの娘の側にいてやらんのなら、きっとその役目は金居が果してくれるだろう。ま、あの男なら慰めるくらいのことは朝飯前だからな」

「……」

「中嶋くんが文恵くんのようにされてもかまわないのかね?」

 いかん、このままではいかん。このままあの娘を金居さんの毒牙にかけてしまっては……あのときと同じ光景を見るのはもういやだ。
 三宅教授のダメ押しの一言が、白葉教授の強がりを断ち切った。
 白葉教授はすっくと立ち上がると絶叫とともに玄関の外にかけだしていった。

「ち、ちひろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 白葉教授はもう少し冷静になるべきであった。
 如何に金居教授に彼女を寝盗られた同志と言えど、あの三宅教授がなぜこんなにも協力的かつ親身に心配してくれるかのような言葉をはき連ねたのか。それを疑問に思うべきであったのかもしれない。
 半纏に下駄ばきのまま、飛び出していった白葉教授の後ろ姿を見送りながら、茄子を抱いたスペイン人の少女がにんまりと笑みをこぼした。
 玄関から顔を出した三宅教授は、少女の顔を見るとにんまりと笑い返した。

「どうかね、ジーラ君。うまくいったかね?」

「上出来、上出来☆ しかし、こないだと全然行動パターンが変わってないわねぇ、白葉教授も……」

 どうやら近所に済むジーラ・ナサティーンの入れ知恵があったらしい。

「あの男も不器用だからな。いつまでたっても身も固められんでいるのを見るのは先輩として忍びない」

「あーら、三宅教授の口からそんな言葉が聞けるとは思いもしなかったわ」

「がっはっは。このワシが後輩思いのいい先輩に見えんかね?」

「見えないわね。あの逃げの教授にいろいろと悩み苦しませて酒の肴にして楽しむつもりなんでしょ?」

「わかるかね? がっはっは」

 まぁ、そんなもんだろう。  

 

 


act.3-6;疾走する想い

 夕焼けがあたりを黄金色に染めていた。
 太陽は薄くたなびく夕雲の中にその姿を隠し、遠くに家路を急ぐ子どもたちの歓声が聞こえる。
 中嶋千尋は、公営住宅の屋上……正確には屋上への出入口のある給水塔の上にしゃがみこんで、夕闇に沈んでいく街を見ていた。
 千尋がこの街へたどり着いて、早、数週が過ぎようとしていた。
 そして、白葉教授との運命的な出会いからも、同じだけの時間が過ぎていた。

「……」

 あのときどうしてあんなセリフが出たんだろう。

『あたしをあなたの妻にして下さい』

 結婚とか妻にとか、ずっと違うものだと思っていた。大恋愛をして、好きで好きでたまらない人がいて、それで幸せな結婚というゴールにたどり着くものだと思っていた。

 だのに、白葉教授と出会ったときに、すべてがわかってしまったような気がした。
 かっこいい先輩に憧れたのとも、優しい同級生と過ごしたのとも違う。
 ああ、あたしは、この人と出会うために生まれてきて、この人と出会うためにこの街にきたんだ。好きだとか、愛しているとか、一言で現わせるようなものではない。これは……運命? いや理由なんてない。
 自分を受け止めてくれる人はあの人なんだという確信だけが、電気のように身体中を駆け抜けた。
 その思いが、あの一瞬にあの人には通じなかったことが、なぜだか寂しかった。

「あたしの……勝手な思い込みだった……のかな」

 タオルを受け取ったあのとき、自分がとろけそうだったのに。どきどきして、身体が熱くなったのに。
 誰でもいいから信じて。あの時、あたしの気持ちが本当だったって、そう言って。
 千尋の眦から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「みぃ☆」

 いつのまに現われたのか、フラットブラックの仔猫・茄子が千尋の顔をのぞき込んでいる。
 抱きかかえると、茄子は千尋の頬を濡らす大粒の涙をペロリとなめた。

「ねー、茄子……おまえはいいね。白葉さんの、透さんの近くにいられてさ」

 千尋の言葉の意味がわかっているのか、茄子は小首を傾げてみせた。

「あたしね、何がなんでも透さんの側にいなきゃいけないような気がするの。透さんってとても優しい人だから、あの人の側にはいつも誰かがいると思うけど……でも、パーティはいつか終わりがくる。一人ぼっちでパーティの後に取り残されるのって寂しいよね」

 黄昏は宵闇に変わりつつあった。

「いつも賑やかな所にいる人ほど、ううん……いつも賑やかな所にいるからこそ、本当は人一倍寂しがり屋なんだって知ってた? いつも明るく振舞っているから、一人になると凄く悲しくなっちゃうのよね。
 きっと透さんもそうだと思う。あたしも、そう。
 だからあたしはあの人の側にいなきゃいけない。そのために20年もかかって巡り会ったんだって……あはは、なに言ってんだろうあたし。
 ねぇ、茄子……おまえどう思う?」

「に?」

 階下から白葉教授の声が響いてきた。

「ちひろーっ! なすーっ! ちひろーっ! なすーっ!」

 白葉は走った。
 陽の暮れかかった縁島を疾走した。

「あんら、先生。ヂョギングですかぁ。お若いねぇ」

「いや、ちょっと捜し物を……」

「教授、聞きましたよ! ご婚約なさったそうで!」

「し、してないっ!」

「きょーじゅー、式はいつっすかぁ?」

「まだだ。いやっ、当分ないっ!」

 白葉教授は今や疾走する有名人だった。街行く人々は名物教授の一足早い春を祝って声をかけるが、教授自身はそれを逃げ腰で否定しつつ、否定する当の相手の姿を求めて街をさまようという矛盾した状況に置かれていた。
 もっとも、それについて落ちついて考えるほどの心理的余裕は今の教授にはなかった。
 公営住宅の階下にトラックを乗りつけて、移動八百屋のバイトに励んでいたシータ・ラムは、バイトを紹介してくれた恩人である白葉教授の姿を認めると手を振った。

「あ、教授どーもぉ!」

「キミっ! シータくん! 中嶋千尋という娘を知らんかねっ!」

「知ってますよ。この度は誠におめでたく……」

「そんな話はいいっ! 最近、姿を見たかと聞いとるんだ!」

「ええ、そりゃ昨日も……って、それが何か?」

 白葉教授はずどどと駆け寄ると、シータのやや広めの肩に両手をかけ、がしがしがしと揺すった。
 そして、大根さんとゴボウさんを両手に構えてシータを威嚇した。

「どこだ! 今どこにおるんだっ!? 言え! 言いたまえ!!」

「え? え? あー、えーと昨日ジーラさんちで、あのー会いました。はい」

「ありがとう! 君の給料に色つけるように言っておくからねっ!」

「へ? あ、はい☆ ありがとうございますぅ」

 疾風は下駄を鳴らし、大根とゴボウを手にしたまま駆け抜けていった。

「ジーラくん! キミ、千尋くんの居所を知らんかね!? いや、知っておるのだろう! 君がかくまっていたという証言はすでに得ておる! すぐに白状したまえ! 今ならまだ間に合う。さあ、言えっ! 言わなければこの大根とゴボウが火を吹くぞ!」

 白葉教授に千尋を探させるよう仕向けたのは、ジーラ自身である。に、してもここまで錯乱するとは予想外であった。
 大根とゴボウが火を吹くというのがいったいどういう攻撃なのか、ジーラには見当もつかなかった。

「えっ? えっ!?」

「部屋か? キミんところの部屋の中にいるのか? そうか、そうなんだな?」

「ちょー、ちょっとちょっと、違う違う! 千尋だったら屋上よ、お・く・じょ・う!」

「なに? 欲情だとうっ!?」

「ちがーう! この建物の屋上だってーの! さっき茄子が屋上に行ったみたいだから、きっと一緒に……」

「ちひろ――――――っ!!! なす――――――――っ!!!」

 白葉教授は走った。下駄で走ると足がすれて痛いということは、先週体験したばかりなのに、そんな教訓は疾駆する教授にはまったく活かされていなかった。
 階段をかけのぼり、非常口をけりあけて屋上に躍りでた。

「ちひろっ! なすっ! どこだ!」

 しかしそこには、薄寒い風が吹いているばかりで、目指す千尋の姿は見受けられなかった。

「ぬ、ぬぅ! ジーラめ、この白葉をたばかったか!」

 流石に力尽きたのか、教授はその場に肩膝をついて倒れこんだ。汗まみれの顔には、うっすらと無念の涙まで浮かんでいる。

「くぅぅぅ……ちひろぉぉぉ、どこだぁぁぁ……ああ、金居さんなんかに、あの人の毒牙に千尋をかけるわけにはいかない……キミの悲しむ顔は見たくないんだぁぁぁ……なすぅぅぅ、どこだぁぁぁ……千尋を、千尋を金居さんから守ってやってくれぇぇぇ……」

 そのとき、教授の声に気付いた茄子が顔をもたげて鳴いた。

「みぃ☆」

「茄子!」

 茄子は給水塔の上から飛び降り、白葉教授の近くへとことこと近づいた。茄子を見上げる教授の視線のその先に、中嶋千尋の姿があった。

「透さん!」

「ぶ、無事だったか……(;_;)」

 千尋も茄子を真似て給水塔の上からふわりと飛び降りた。

「あの、あたし……」

「あー、いやその、住むところは見つかったかね?」

「え……はい」

「……そう、そうか。それはけっこう。それはよろしい。うん、実によいことだ」

 教授はへらへらと笑いながら、千尋の無事を喜んだ。
 まだおかしい。

「透さん……あたしがお側にいると……ご迷惑ですか?」

「いや、ないよ。全然ない。ご迷惑だなんて。でも、ほら、えーとね、あれだ。嫁入り前の女の子が、中年男の部屋に住み込むというのも何かと問題があるだろう」

 千尋は再び暗く沈んだ表情になった。ずぶ濡れのまま玄関に立っていたときの、あの顔だ。びしょ濡れ仔猫の乞うような瞳が、白葉の胸に痛かった。

「が、しかしだ。まぁ……何かと人の出入りの多い家だし……うん。私一人で暮らすには広すぎるし……私も研究室と部屋の往復でな。研究室に何日も泊り込むこともあったりして……まぁ、あの広い部屋に一人っきりは寂しかろうが、私がいなくても茄子がいるし……。
 がーっ!! 私はいったい何をいっとるんだっ!」

 白葉教授は最近すっかり白髪の増えた髪をかきむしった。

「あたし、あなたの……」

「け、結婚はまだ早い、早いです。まぁ、身の振り方をじっくり考えたまえ。君には時間がたっぷりあるんだからね。それまで……部屋においてあげるから」

 最大限の妥協はあったようだが、どうやらとうとう観念したようだ。

「あ、そうだ。キミ、料理は得意かね? このゴボウと大根を使ってだね、何かあったまるものを作ってくれんかね」

「はい☆」

 茄子の首に仕掛けられた、三宅総研謹製のマイクロ・キャメラからの映像が、白葉邸・堀炬燵の間にある壁面モニタに映し出されていた。

「やた。今日はけんちん汁か豚汁だわね」

「豚汁か……ワシは、豚汁におむすびと日本酒という組み合せが好きでなぁ」

「ところで三宅教授、この映像どうします?」

 白葉邸の常連客兼三宅教授の使いっぱしりと成り下がった貧乏探偵・富吉直行は、蛸の干物をかじりながら画面に見入る三宅教授に訊ねた。

「そりゃ、おまい、秘かに編集してASに売り飛ばすに決ってるだろうがよ。飲み代とあいつらへの御祝儀分くらいは出るんじゃねーか?」

「といっても、出演は当の恋人たちって奴ですが。いやぁ、教授も悪党ですなぁ」

「がっはっは」

 やはり、三宅教授は三宅教授である。  

 

 


act.3-7;ヒッチコックの軍鶏
「え……それじゃ21号へは直接行かないんですか?」

 境伸也は飛鳥龍児の横顔を不審気な眼差しで見つめた。
 農業工学科から借りだした青果運搬用ホバー・トラックから下りたった飛鳥は、あたりに生い茂る自分の身長より高いススキを踏み分けて、道らしきものを探していた。桟橋にすべての物資を積み込んだホバー・トラックを下ろした軽フェリーは、早々に島を離れていった。
 船上から見えたように思えた人影は、そこにはなかった。

「いや……20号へね、ベース・キャンプを作るつもりなんです。ロケハンのときは、伊島から通ってたんですよ。確かに同じ東京都内ですし、ましてや同じ人工群島の中です。どこから通おうが、大した距離はないように思えますが、これでもけっこう違うんですよ」

 できるだけ最前線に近い場所に足場となる基地を築く……これが探検番組の基本だ。実際、遠方の島から毎日通うより時間も短縮できる。
 飛鳥は朝日を受けて光る海面に目を細めた。

(毎日……通うことになるのか)

「実は事前調査を兼ねて20号埋立地には足を運んでみたんですよ。何せ、21号の隣ですからね。何があるか下調べもしないでくるのは危ないと思いましてね。
 確かに20号も、ススキ野原の他には舗装もなんにもされてない、21号同様に忘れられた島ではありますが、少なくとも21号のような危険はないと思います。以前きたときには怪しい動物と会うこともなかったし」

 境は飛鳥の周到さを、ことのほか意外に思った。

「へえ……意外に用心深いんですね」

「すでに被害者と行方不明者が出ているんです。そして、俺の後に続くものは……恐らくいないでしょう。ならば、慎重にいくのは道理というもんじゃないですか?」

 ASからの応援はなく、ベース・キャンプ設営・初日である今日になっても新田アインワース雅文は姿を現わさなかった。以前、根戸がいたころに集めたスタッフのほとんどの消息は途絶えている。ベース・キャンプ設営と荷運びのスタッフ以外にこの飛鳥龍児探検隊に参加しようというものはなかった。白葉教授の支援が受けられているといっても、物資も人材も無尽蔵にあるわけではないのだ。

「鵜飼さんもいらっしゃるのかと思ってました」

「いやぁ……俺のやってるのは、もう局の企画じゃないですからね。ヤラセで笑ゴマが利くものならともかく、俺たちがこれから踏み込もうとしている島には、少なくとも鋭利な爪を持った獰猛な獣がいるかもしれないんです。
 探検バラエティ番組ではなく、俺たちがしようとしているのは『探検の記録』なんですよ。ASのドル箱アナウンサーにこんな危ない真似はさせられません」

 飛鳥はススキを踏んで、ホバー・トラックの通ることのできる道を確保しようとしたが、強い海風に鍛えられたススキは踏みつけたくらいでは根こそぎに倒れてはくれなかった。

「だめだ……ちょいと面倒ですが、鎌か何かでこの辺のススキを刈り取っっちまわないと、目的地へ近づけない……」

「ベース・キャンプはどこに作るつもりなんです。新たにテントでも張るんですか?」

「いえ……この20号って埋立地もそれなりに一風変わった島でしてね。途中で放り出されていることに関しては21号と同じなんです。まぁ、さすがに21号のように気違いじみたジャングルはありませんが……」

 飛鳥はホバー・トラックから鎌とスコップを下ろすと、スタッフにそれらを手渡した。

「このススキ野原は、20号の北側にあたります。このススキ野原の南側、20号の南端にベース・キャンプにあてようと思っているホテルがあるんです」

「ホテル? こんなススキしかない、見るものもない、たどり着くのさえ不便な場所にホテルだって?」

「あるんですよ、確かに。ホテルって言っても、そんなに大層な代物じゃありません。いや、大層な代物と言うべきなのかな……」

 境は手渡された鎌を持ったまま考え込んでいる。

「……なぜ、ホテルのある南側に回り込まないんです? 農業工学科のホバー・トラックは水陸両用のコンテナ・キャリアでしょう。運河を回りこんでいけば、こんなにススキを苅進まなくたって済むはずだ」

 飛鳥は申し訳なさそうな顔をした。そして、地面にスコップで略図を書いた。

「いいですか、境さん。20号埋立地の西側には荒川運河があります。流れが急すぎるのと、護岸工事だけはしっかり終わらせてあるせいで、ホバー・トラックじゃ上陸できないんです。南側は荒川運河の赤燈台を回って東京外湾に出るコースです。人工群島内を走る内湾運河と違い、外湾の波は荒いですよ。しかも今日は時化気味だ。さらに、南岸にはテトラポットが沈めてあるんで、このホバー・トラックでは上陸できるところがありません。残る東側は21号との間を通ります。これは、万一の場合を考えると避けておきたいルートです。
 ……となると、北側からいくしかないんですよ」

「なんてこった……」

 観念した境は、かがみこんで鎌を振るいはじめた。

 飛鳥、境を併せたスタッフの総勢は10人ほどだった。ホバー・キャリアに積まれた荷物の量の割に、荷運びの学生スタッフが多いと思ったら、どうやら彼らは最初からススキ苅りのための要員だったらしい。さすが農業工学科、白葉教授の教育が行き届いているのか、学生たちは文句一つこぼすことなく器用に鎌を振るい、収穫期の米作農のようにススキを苅り進んでいった。
 目的地まで残すところ50メートルを切った頃、ススキ野原の彼方に煉瓦と丸太を組んで作った2階建ての建物が見えてきた。

「見えますか、境さん。あれが例のホテルです。我々はあそこをベース・キャンプにして、21号探検を行ないます」

 境は目を疑った。それは、中世ヨーロッパ風……いや、アメリカナイズされた中世ヨーロッパ風ホテルだった。かなり昔に、日本で流行ったアメリカ経由の中世ヨーロッパ・ファンタジーに必ず見ることができたそれに酷似している。1階が酒場で二階が宿屋になっていて、看板には「○○○亭」とか「INN」などと書いてあり、一階の酒場では冒険者たちが新たな冒険の始まりを夢みている……。

「あれ……本当に営業してるんですか?」

「まぁ……20号も一風変わってるんです。21号ほどの未知の危険はありませんが、なにせこのへんぴな環境にあの宿屋でしょ。なんというか……アメリカ製中世ヨーロッパ風ファンタジー・マニアに出会う……かもしれませんが……いや、気にしないで下さい」

「そうすると、なんですか? プレートメイルやチェーンメイルを着けた戦士や、ローブにスタッフを持った魔法使いがいるわけですか?」

「詳しいですね(^_^;)。……ほら、軍事学部あたりによくいるでしょうが。サバイバルゲームをするときに銃だけでは飽きたらず、実物と同じ服装や装備をしないと気が済まない人とか、ホビー・マーケットなんかの趣味の同人即売会にコスプレ……コスチューム・プレイといって、本物そっくりのかっこして現われる輩が。あれと同じです」

 境は汗を拭ってため息をついた。

「まさかとは思いますけど、魔法使いとか賞金稼ぎの冒険者なんかいないでしょうね……(-_-;)」

「……まさかね(^_^;)」

 笑って答えるものの、飛鳥にも胸を張って否定できるだけの自信はなかった。ただ、思うのは、ただでさえ非常識な島に赴こうというときに、日常生活での常識が通用しない場所をベース・キャンプにあてるというのは……少々問題があったかもしれない。

 スコップを構え直した飛鳥の前に、突然猛禽類を思わせる鳥が舞い降りた。

「うわっ!」

 思わずスコップで払いのける。猛禽類を思わせる鳥……それはよく見るとニワトリのように見えた。羽ばたいて飛鳥のスコップをかわした鳥は、赤いトサカを雄々しくそびえさせ甲高い声で鳴いた。

「コーッ、コケーッ!!」

 それが合図であるかのように、50羽以上はあろうかというニワトリの群れがススキ野原の中から襲いかかってきた。
 あるものはススキ野原の上をその強靭な羽根で舞い、あるものはススキの隙間から突如現われてその強靭な足で地を蹴り、スタッフたちにくちばしによる攻撃を加えた。

「な、なんだこいつは!」

「ニワトリ……こいつら、こないだウチから逃げた……!!」

 荷運びの学生スタッフたちの表情は、何者かへの恐怖のため凍り付いていた。

「どうしたんだ! たかが、ニワトリじゃないか!」

 飛鳥はスタッフたちを叱咤激励したが、スタッフたちは表情をこわばらせたまま、次第に後ずさっていった。

「知らないのか? こないだ、農業工学科畜産研の鶏舎から4万羽のニワトリが脱走した事件があっただろう!」

「ああ、あの鳥肉の大安売りのときの……」

「あのとき、我々農業工学科の追撃を振り切って逃げた群れがいた。4万羽の大脱走を指揮した軍鶏の群れ・A−2群……今、我々を襲っているのが、そのA−2群だ。間違いない!」

「もし、もしそうなら……」

 次第に探検隊側は防戦一方に追いつめられてきた。

「こいつらは、軍鶏の闘争能力を高めることを目的に先祖返りさせた品種だぞ! あのとき、病院送りにされた連中のほとんどが、こいつらにやられてるんだ。それに……この群れのボスは『紫煙』!!」

 紫煙。その名を口にした学生が一際大きな軍鶏に襲われ、血塗れになって地に倒れた。

「紫煙、紫煙だ! まずい、この人数ではこいつらには勝てない!」

 すでに探検隊は三々五々に分解させられていた。学生スタッフたちは、スコップをすててその場から逃げ去ったが、事情を飲み込みきれないでいる飛鳥と境だけが、凶暴なニワトリの群れの中に取り残されてしまった。
 殺気だった軍鶏たちは、つつかれた痕で血塗れになっている境と飛鳥に的を絞りつつあった。

「……なんてことた。ニワトリごときの妨害で計画が行き詰まるなんて」

「行き詰まるどこじゃない。境さん、このままじゃ俺たちはニワトリに殺されちまうかもしれない!」

 そんな情けない死に方は嫌だ……。
 そう思った瞬間、何か巨大な容積の影が二人の前に立ちはだかった。

「キミたちっ、大丈夫かい!? こいつらの群れの中で立ちとまっちゃぁいけない!」

 膨れ上がった風船のような身体をした大男は、見かけよりはずっと軽快に巨体を動かして飛鳥たちを襲おうとする軍鶏を薙払った。軍鶏たちは、1羽、2羽と地面にたたきつけられ、断末魔の叫びをあげている。
 大男は、たたき落とした軍鶏を2羽ほど右手につかみ、左腕に特に負傷のひどい飛鳥を抱えて走りだした。

「あそこだ! 南に向かってまっすぐ走れ!」

 もう何がなんだかわからなかった。
 ススキに足を取られ、背後から迫り来る軍鶏たちの爪先やくちばしを払いながら、境はススキ野原の中をしゃにむに走った。
 不意に視界が開けて、半ば失神しかけている飛鳥を抱えて走る大男の背とススキ以外のものが見えたとき、彼らはニワトリの追撃を振り切ることに成功したことを知った。  

 

 


act.3-8;酒場にて
 飛鳥が目を覚ましたとき、ススキ野原で自分達を救ってくれた大男は、歓喜の涙を流しながらホテル・犬と雄鳥亭の食事をむさぼり食っている所だった。

「うむっ、うまいっ! うむっ、うまいっ!」

 飛鳥は手当された腕をさすりながら、境に問いかけた。

「あの……俺たちは助かったんでしょうか?」

「ああ、あの人のおかげでね」

 境の視線の先には、いくつも重ねられた大皿とその影に隠れつつある巨漢の人物があった。

「うむっ、うまいっ! うむっ、うまいっ! ああ……地獄に仏とはこのことですなぁ。もしキミたちに会えなかったら、今ごろは軍鶏どもの餌だった。すっかりごちそうになってしまって申し訳ない」

「とんでもない。救っていただいたのは俺たちですよ。あなたがきてくれなかったら、軍鶏につつき殺されていたてたでしょう。飯くらいいくらでも食ってください」

「その通り……と素直に喜びたいところだが……よく食う人だねぇ」

 境は、実に楽しそうに食事を続ける男をまじまじと見つめた。
 身長は180センチ以上。しかし体重は130〜40キロはありそうだった。巨漢というより、風船のように膨れ上がった身体をしている。この重そうな身体をどうすれば、あんなに軽快な動きができるのだろう。

「ええと、自己紹介がまだでしたね。僕は境伸也。洋上大学原始技術研究所で助手を努めています」

「俺は飛鳥龍児。ASの研究生で、TV特番作ってます。……といっても今はクビですがね」

 ようやく人心地ついたのか、風船男は巨体を揺すって満足そうに言った。

「いや、ごちそうさん。わたしゃ金井大鵬という。香港で中国拳法を極め、インドでヨガの呼吸法をマスターし、それをもとに大鵬流という地上最強の拳法を編みだした、さすらいの拳法家だ」

 カウンターの奥で腕を組んでいた犬と雄鳥亭の女将、ネニエル・ルルットが口を挟んだ。

「『自称』拳法家よ」

 大鵬はネニエルをじろりと見ると咳払いをした。

「まぁ、拳法だけではなかなか飯は食えないからね。調理師、ガードマン、土木作業員……つまり土方だな。そういった副業をしながら、大鵬流をより完全な形に仕上げるための修業の旅を続けているんだ。今は副業の方は失職中だが」

「へぇ、拳法ですか! 軍鶏をたたき落としたあの動き、ただ者じゃないとは思ってましたよ。よかったら、型を見せてもらえませんか? 俺、大好きなんですよ!」

 無邪気に騒ぐ飛鳥のリクエストに、大鵬は頭をかいて椅子から立ち上がった。

「じゃ、飯もおごってもらったことだし、特別に見せて上げよう。すはー……」

 大鵬は大きく息を吸い込むと、何やら構えをとって突き・蹴りの型を見せた。

「はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はっ!」

 が、境と飛鳥の目には、ガマガエルの体操以外には見えなかった。

「ふっふっふ。驚いたかね。ああ、運動したらまた腹が減ってきたな。女将さん、さっき絞めてきた軍鶏、まだあるかなぁ?」

「……で、大鵬さんは?」

「食ったから寝るって……」

「あ、そ(^_^;)」

 飛鳥と境は今後の探検行について、スケジュールを組み直していた。学生スタッフが皆、恐れをなして逃げてしまったためである。上陸地点まで戻ってみると、幸いホバー・トラックはそのまま放置されていたので、物資や食糧にはかなりの余裕が出ることになった。
 しかし、荷運びスタッフなき今、どれほど物資があろうとも飛鳥と境で運ぶことのできる物資の量は、極端に制限されてしまった。撮影用の機材を総て飛鳥が運び、食糧の類を総て境が運んだとしても、燃料などの装備もあわせると3日分ほどしか携行することができない。三日ごとにベース・キャンプに戻っていたのでは、島内をくまなくみっちり取材することは難しい。
 そうしたとき、金井大鵬氏が臨時スタッフとして名乗りを上げた。確かに彼一人なら4、5人分の荷運びができそうだ。だが、食事も4、5人分は食いそうだった。
 それなら最初の予定通りじゃないか、ということになり、結局大鵬を逃げたスタッフの代わりに仲間に雇い入れることで決着が着いた。

「帳尻はあってますね。初日からずいぶんとひどい目に合わされたけど、かわりに大鵬さんを得ることができたわけだから、これはまぁ、よしとしましょう」

 軍鶏に襲われた傷が痛むのか、飛鳥は少し足を引きずっている。

「大丈夫?」

「いやぁ、なぁに……痛てて。やっぱり、今日は早めに休ませてもらいます。しかし……20号にあんなのがいるなんて、予定外でしたよ、ほんと」

 飛鳥はずいぶんと疲れた顔で笑った。

 夜はとっぷりと更けていた。いったいどこから集まってくるのか、一階の酒場には昼間飛鳥が言っていたような趣味のなりをした者たちが、事実なのか嘘なのか見分けのつかないような冒険譚を交わしあっている。

「今日は島の東側にある、マリボー沼の近くまでいったぜ。あそこの沼に太さが……そうさな、80センチはありそうな海蛇が出たんだ。いやぁ、ぬかるみに足をとられるわ、ソードは落とすわ、おまけにこの馬鹿の援護が遅れやがってよ。もうちょっとで海へ引き込まれる所だったんだぜ」

「何いいやがる。おめぇが真っ先にシールド落とすから、危なくてボウガンが使えなかったんだろうが。てめえのポカを人の失敗みたいに言うんじゃねえよ」

「あんだとう?」

 カードをめくりながら昼間の冒険の失敗をなじりあっていた男たちが、テーブルを蹴って立ち上がった。ヤンヤの歓声を背に、皮鎧の男がチェイン・メイルの男につかみかかった。さすがに重いのかチェイン・メイルの男の動きは、皮鎧の男より少しだけ鈍かった。
 スターウォーズか正調西部劇か。はたまたアメリカン・ウェスタン・ファンタジーの成れの果てか。
 もし飛鳥の説明を聞いていなかったら、この光景はどこかのアミューズメント・テーマ・パークの参加型パレードか参加型イベントにしか思えなかっただろう。

 どちらもポーズで荒くれ冒険者の雰囲気を味わっているだけだから、騒ぎはすぐに静まった。
 中世ヨーロッパ・ファンタジー風の装いをしていない境は、自分だけが浮いている気がしてテーブル席へは近寄りがたかったが、カウンター席の隅に自分と同じように現代人の服装をしたままの人物を認めて、そちらに近づいていった。
 黒い革ジャンの人物のとなりの無骨な木の椅子をきしませて腰を落ちつけ、ビターを注文する。テーブルの端から滑ってきたジョッキを捕まえて人心地ついたとき、境が声をかけるより先に革ジャンの人物が口を開いた。

「お久しぶり☆ 新町で道に迷ってね」

「ええっ、エッセンシャルさん。なんで、ここに!」

 ESSEことエッセンシャル・コンディショナーは、琥珀の液体をたたえたグラスを軽くかかげて境との再会を祝った。
 ESSEは最後に19号のBAR・白薔薇で別れたときと少しも変わらない、プラチナシルバーの髪を揺らしながら、こともなげにいった。

「これから21号へ行くんでしょう? 前にあなたの言ってた……火渡貴子という女の子のことが妙に気になったの。それで、あたしもその娘に会ってみたいと思ってね」

「……その、あの……そのためだけに21号へ?」

 境は困惑したような表情を浮かべた。ESSEはクスクスと笑ってその顔を楽しんだ。希望に燃える顔でなく、困った顔が似合う男というのも悪くないかもねぇ……。

「そうよ。それに、ずいぶんと小さな探検隊になったみたいだし……あたし一人分くらいの余裕ならありそうね」

「そりゃ、スタッフがだいぶ逃げたから物資の余裕は……いや、いやいやいや。そんな訳にはいきませんよ。困ります! 21号は、何が起こるかわからない場所です。そんな所に女性を連れていけますか!」

「あら、女性蔑視的発言ね」

 境は言葉に窮してますます困った顔になった。

「いや、そういうわけではなく……だから、わかってくださいよ、とにかく危ないんです。あなたにもしものことがあっても、僕にもどうしようもないかもしれない」

 ESSEはにっこりと笑ってみせた。

「大丈夫。少なくとも、19号の西街をあなた一人で歩かせるより、ずっとね」

 境はESSEのセリフの意味をつかみかねていたが、ESSEからみた境自身のペースと19号の時間の流れのずれのことを差しているのだと気付いて苦笑いした。
 ふと境の中に最初の疑問がわき返った。ESSEは、本当に火渡貴子と会ってみるためだけにここまでやってきたのだろうか。
 ESSEのグラスの琥珀の液体の中で、氷が小さな音をたてて割れた。氷の表面に、彼女のエメラルド・グリーンの瞳が歪んで映る。

 ……これも彼女流のジョークなのだろうか。

 ESSEは黙して語らなかったが、その冷めた表情の奥に包まれた真意は境には知ることができなかった。


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