act.1-1;後を継ぐもの


 新田アインワース雅文はひどく衰弱していた。
 21号埋立地の湿地で海上保安庁の巡視艇に発見された時、1月下旬の冷たい風にさらされて身体はすっかり冷えきっていたが、新田はまるで熱射病にかかったかのようにぐっしょりと汗をかいていた。

 海上保安庁からの第一報を受けた飛鳥龍児は、キャメラ・スタッフを従えて保安庁の巡視艇にかけつけたが、毛布にくるまれたままの新田の意識は依然戻らず、ただうわごとのように根戸宏の名前を呼び続けていた。
 関係者ということで新田の元へ近づくことができたにも関わらず、満足に事情を説明できる状態にない新田から得られた情報は皆無に等しかった。
 しかし、新田だけが発見されたことから、依然として根戸の行方がわからないという事実が残った。

 巡視艇から病院に移される新田を見送った後、同僚のキャメラ・スタッフは不安気な表情で飛鳥の指示を仰いだ。

「どうする? 次のスポット・ニュースに載せるか?」

「『AS局員発見さる!』か? それとも『根戸宏失踪!』か?」

 飛鳥はいまいましげに吐き出した。

「拾ったネタは間髪置かずに吐き出すのが報道の原則だ。それが母親の死だろうと、親友のスキャンダルだろうとな。もちろん流すさ」

 飛鳥は中継車に戻るとダッシュボードの中からノート型端末とゴーグル型のハンディHUD(ヘッド・アップ・ディスプレイ)を取り出した。HUDのケーブルを端末の横につなぎスイッチを入れると、ゴーグルの中にディスプレイが浮かび上がった。飛鳥の指先は1分あたり300文字の速さで、原稿をたたき出す。
 回線を開き、書き上げた原稿文に撮影したばかりの新田の映像をつけて、プロムナード経由でASの情報領域にデータを注ぎ込む。
 データが総てASの情報領域に送り込まれたことを確認して、ヴィジホンの映像をHUDにつなぎASを呼び出した。

「……飛鳥だ。今、新田発見の取材レポートを送った。タイトルは『根戸宏失踪!』だ。そう、タイトルに新田のことじゃなく、根戸さんの失踪を大きく取り扱え。見つかった人間のことよりも、いなくなったままの人間を取り扱った方がインパクトが強い。後々、続報で引っ張れるしな。
 それから、去年の暮れに放送したアーキペラゴ・モーニング・ステーションの根戸さんの映像があったろう。そう、ルフィー西石と一緒に出演した奴だ。あれを流せ。このネタを『根戸宏失踪事件』という形で取り扱って『東京ガラパゴス探検』につなげるキャンペーンを張る。根戸さんは失踪前、ルフィー西石とスタジオ以外の場所で関わりがあったらしいし……詳しいことはこれからルフィー西石に張り付いて調べるつもりだがな。
 そう、そう……だからルフィー西石の映像も併せて、失踪に関係ありそうに見せて煽っておいてくれ。そう。そいじゃ頼むよ。編集終わったら、いっぺんこっちをコールして。チェックしたい」

 飛鳥は息継ぐ間もなくまくしたてると、一方的にヴィジホンを切った。

「ふう」

 飛鳥はダッシュボードに端末とHUDを放り込むと、車のシートをリクライニングさせて、息をついた。

「根戸さんには悪いが、これはネタになる。21号埋立地、東京ガラパゴス探検をぶちあげた張本人が、先行ロケの段階にも関わらず行方をくらましたわけだからな。しかも、問題の21号でさ」

 キャメラを下ろして撤収の仕度を始めた同僚が、ドライバーズ・シートに身を沈めながら言った。

「まぁね。これで21号取材の話題は盛り上がるだろうな。失踪した根戸さんを探し出すという要素も加わったことだし……でもさぁ。企画ディレクターの張本人が行方不明っちゃあ、ほとんど企画そのものが棚上げになっちまうんじゃないの?」

 飛鳥はこともなげに返した。

「大丈夫さ。根戸さんが何をやろうとしていたかは、だいたい理解できてる。この俺が根戸さんの企画を引き継ぐ。
『東京ガラパゴスに消えた根戸ディレクターを探せ! 根戸ディレクターの行方は? 東京湾に浮かぶ謎の密林島にいったい何が待ち受けているのか!?』
 これだよ、これ」

「おい、なんだかまるで根戸さんみたいじゃん」

「これは根戸さんが始めたネタだからな。しかし、根戸さんなき今、後を引き継げるものは俺しかいない!」

 そう言いきった飛鳥の不敵な眼差しは、根戸のそれが乗り移ったかのようだった。

「さぁ、ぐずぐずしてる暇はない。いくぞ!」

 飛鳥はドライバーズ・シートの同僚をせかすと車をASに向けて発進させた。
 走り出す車の窓をあけると、ちらりと南の洋上を振り返る。21号埋立地の緑の木々が、ビルの合間に蒼くかすんで見える。
 飛鳥は21号のどこかにいる根戸に向かって、心の中で叫んだ。

「根戸さん、見ていてください!」  

 

 


act.1-2;島の中で見たもの
 飛鳥龍児の心の叫びが東京湾にすっかりとけ込んだ頃、根戸宏は21号埋立地のどこかにいた。目前で繰り広げられている信じられないような光景を前にして、ぼーぜんとしていたのである。

「あーうあー」

「いやーおーほー」

 物語はしばらく前に遡る。

 新田アインワース雅文を見送った根戸宏は、熱帯性の密林の中にぽつんと建てられた「柱」をまじまじと見つめた。
 樹皮を剥き、何か彫刻のようなものを施した形跡がある。自然に樹皮の剥けてしまう植物は実在するし、虫に食われて文様のようなものを浮き立たせる植物もある。しかし、今、根戸の目前にある「柱」はそのどちらでもなかった。

「トーテムポールのようでもあるが……やっぱり、柱と呼ぶのがしっくりくるかな」

 根戸は「柱」の表面の縄目のような文様をなでまわしながら、この柱のことをキャメラに向かってなんと説明しようかと悩んでいた。
 鬱蒼と繁る森の中を見回すと、周囲の木とは異なる「柱」が他にもいくつかあることに気づいた。下生えの草や垂れ下がるモクセイシダの葉の間に見え隠れする柱の数は6本。それらは、根戸の建っている柱と等距離に並べられ、円と呼ぶには粗いサークルを形作っている。

 周囲の草は生えては腐り、むっとする青臭い臭いを発している。そればかりでなく、いくばくかの熱までもっているようだ。この密林の中が異様な暑さなのは、こういった下生えが腐葉土となる際の発熱と、それを漏らさない尋常でない保湿力を持つ蔦のせいであるらしい。

「しかし……これじゃロスト・ワールドだよ。やれやれ……新田なんかじゃなくチャレンジャー教授でも連れてくればよかった」

 一人ごちて汗を拭った根戸の背後で、梢を揺らす音がした。

〈ガサ。ガサガサガサ〉

「ををっ!? さっきの、あれか!?」

 振り向いた根戸から数メートル離れた茂みの中に、明らかに生物の気配がしている。それは決して根戸を歓迎するものではない。
 根戸の背後に冷たいものが流れた。低い唸り声を発する茂みの中の気配は、根戸に狙いを定めたようだ。根戸は相手が話し合いの通じる相手ではないことを本能的に悟り、新田とともにホバー・ボートに戻らなかったことを少しだけ後悔した。
 後ろ向きに足場をさぐりながら、じわじわと距離をとろうと試みる。
 柱の群れから少しづつ遠ざかり、島の中央に向かって延びる緩やかな斜面に足をかけたとき、頭上から落ちてきた鋭い何かが、根戸の右肩を掠めた。

「あひっ!?」

 爪のようなものが、根戸のジャケットの袖を破り上腕の皮を切り裂いた。ムチのようにしなる尾の先についた鋭い爪は、ジャケットの袖と根戸の肩の皮をリュウキュウマツの幹に縫いつける。
 次の瞬間、尾の持ち主が樹上から降ってきた。

「ひ!」


Illustration by Kunio_Aoki

 根戸は右肩を押えながら、自分を襲ったものの正体を見極めようと試みた。
 それは、モグラの顔とムチのような尾を持った獣だった。
 80センチほどの身体から延びるくだんの尾は2メートル以上はあろうか。その先端には錨のような2本の鋭い爪が鈍い光を放っている。牙などは持っていないようだが、この爪が十分その役割を果たしてるようだ。
 手足は退化しており得物を切り裂く爪は四肢にはない。また、その貧弱な四肢では体躯を走らせることも支えることもできそうにない。
 退化した手足の代わりに、引き締まった4つの細長い突起が獣の身体を支えているようだった。

「あう、あふ、あぐっ」

 根戸は後ずさりながらも我が目を疑った。
 その突起はモグラのような獣の顔の先端についていたのである。根戸は木立に足をとられ、傷ついた右肩から草むらの中にもんどりうって倒れた。
 爪の獣はリュウキュウマツの幹から錨のような爪を引き抜くと、手ごろな梢を探してその4つの突起をからめ、自らの身体を支えた。退化した手足は胎児のそれのように小さく、枝先を払うことさえできそうにない。
 しかし、強靭な突起と鋭い爪を持った尾は、十分すぎるほどにその代わりを果たしていた。
 獣は突起を触手のように使いこなしながら、根戸をしとめるのに丁度良いポジションにゆっくりと移動した。
 獣よりも荒い息をつきながら、根戸は自分の置かれた状況を冷静に解析していた。

〈あの爪がついた尻尾がきたら、次は逃げられんな……〉

 絶体絶命の危機だった。こんな東京湾のまん中にも関わらずわけのわからない島で、それ以上にわけのわからないふざけた獣の餌になって一生を終えるのか。
 だが、なぜか絶望感は湧かなかった。これだけ追いつめられた状況なのにも関わらず、27年分の過去が走馬燈のように現われることもなかった。誰の助けが入る可能性もないのに、だ。

「しゃあっ!」

 尾爪を持つ獣は甲高い威嚇音を発した。梢に4つの突起でしがみついた獣は、その最大にして最強の武器をしならせた。

 根戸が憶えているのはそこまでだった。

 陽はとっぷりと暮れ、夜の帳が密林を包んでいる。

 根戸が意識を取り戻したとき、あたりは樹脂の焦げるキナ臭い匂いに満ちていた。
 右肩にはヤニのようなものが塗られ、ヒイラギのような刺のついた木の葉が何枚か張り付けられている。とてもそうとは思えないが、誰かが治療を施したようだ。焼け付くような痛みは鈍痛に変わっており、もう気になるほどではなくなってきている。

 根戸を介抱する者の姿は近在にはない。しかし、野生動物や森が治療を施すはずがなく。誰一人として住んでいるはずのない21号埋立地に誰かが住み着いていることの証明であり、根戸を救ったと思われる彼らは、今、その眼前で踊り狂っていた。
 植物の繊維で織った布を身にまとった数人の男女が、燃え盛る炎を取り巻いて奇声をあげている。紅蓮の輝きを見せる炎の回りを回りながら跳ね、そして身体をくねらせて踊る。それは一定のリズムを刻んでいるようでもあり、そして不定期のようでもあった。
 根戸からは見えない位置にいる者が、何か固い木のようなドラムを叩いている。しかしそのリズムは、クラシックやメタル、ポップスなどのそれとはまったく違うものだ。
 もっと原始的な、密林の香りを漂わせるリズム。バリのガムランとも違う。2〜4音ほどの音色を使い分けながらカツカツと刻まれるリズムは、ガムランよりももっと原始的な、もっと根元的な呪詛を含んでいるようにも感じられる。

 やがて、鷹の頭を模した飾りをつけた女が、炎の前に進みでた。
 根戸に聞き取れる言葉ではなく、呪詛にも似たつぶやきが誰かに捧げられていた。炎の周囲に連なるように建てられた柱は昼間見た柱の群れにも似ていたが、それよりはずっと簡素であるように思われた。
 つぶやきを捧げていた女は、地に伏し大地に口づけて何事か言い聞かせるような語気を漏らした後、浮かび上がるように立ち上がった。そして、ドラムによって刻まれるリズムにその身を委ね、しなやかに舞い踊る。その足腰の動きが根戸の記憶を呼び覚ました。

〈あの女だ……昼間の尾爪の獣の前の気配、そしてその前に見た生き物の正体は、あいつだったのか〉

 女は鷹の頭を模した飾りをかぶったまま、それこそ鷹がのりうつったかのように、舞った。大きく腕を広げ、小さくそして大きく羽ばたく。
 それはとりつかれたような舞いだった。
 根戸自身、まるで魅入られたかのようにその舞いに見入っていた。が、炎の中の炭が崩れ落ちる音を聞いたとき、一瞬我に帰った。そして思った。
 もしここがニューギニアで目前にいる密林の原住民たちが食人種だったとしたら?  そして、これが自分を食うための儀式なのだとしたら……?
 根戸はぼやつく頭を振って正気を取り戻そうとした。

〈いや。ここは東京湾だ。東京都群島区南21号埋立地のはずだ。ニューギニアなどではありえない!〉

 だが、思いだしてしまった。ここが21号埋立地……彼自らが東京ガラパゴスと名付けた「常識の通じない可能性がとてつもなく高い場所」であることを。
 報道魔人・根戸の持つ情報の中にこの島の実態に関するデータはほとんどなく、新田にとってそうであったように、ここが根戸自身にとっても現実としてとらえられない場所であることを認識した瞬間、根戸の意識の中にある感情が芽生えた。

 恐怖。
 得体の知れないものへの、根元的畏怖。

 人間の行動原理のひとつである感情は、それ以上根戸に正気を保たせてはくれなかった。そのとき、根戸の意志ではなく深層心理そのものが、根戸を彼らの群れから遠ざけようとけしかけた。  

 

 


act.1-3;力あるもの
「なぜだ!?」

 飛鳥龍児のニュースは報道されなかった。根戸失踪どころか、新田救出のかけらさえ出ない。もちろん、ルフィー西石に関する映像も流されなかった。
 映像と原稿を送った直後に、編集済みデータのチェックまでしたのにも関わらずだ。
 飛鳥は西石探偵事務所の近くにある公衆映話BOXのモニタに映るオペレータに向かってまくしたてた。相当に頭に血が昇っているのか、両眼に鈍い光が宿っている。

「なぜ流せない。なぜニュースが出ないんだ。あらゆるニュースはその是非に関わらず、まず報道するのが原則だろうが。誘拐報道や戦争報道じゃあるまいし、なぜこのニュースが抑えられるんだ」

 激高する飛鳥に向かって、ヴィジホンの中のオペレータは済まなそうな顔で一言言った。

『はぁ、すいません。なんでも上からのお達しとかで、当分根戸さん絡みのニュースは見合わせるようにって……』

「なんで見合わせなきゃならないんだよ。理由は聞いたのか?」

『機密事項とかいって全然教えてくれないんですよ』

「機密事項ぅ? どこのだ。都庁の秘密か? 国家機密か? 情報警察がコネクトでもしてきたか? そんな得体の知れない奴の言うなりになって、報道の自由をねじ曲げられて、ジャーナリストとして恥ずかしいとは思わないのか!」

『無理言わんで下さい。情報警察の仕業かどうか知りませんがね、編集の終わったマスター・データをアスランから消されちまったら、どうにもできないでしょ』

 ASでは、都内各所で収録した映像を、群島プロムナードを使ってASの情報領域に送信し、自局のエディタ・マシンで編集した映像とデータを放送するシステムをとっている。
 放送とはいえ、ニュース・データの大部分は、ニュース・データベースであるAS−LAN・通称「アスラン」の中に、動画像ニュース・データとして蓄積される。このAS−LANが群島プロムナードの中に接続され、公用ニュース・データベースともなっている。
 一度、ASの放送網によって放送されたニュースは、AS−LANにアクセスすればその詳細を何度でも知ることができるシステムになっている。このニュース・データベース・システムは、群島プロムナードのシステムにAS−LANが接続されてから起こったすべてのニュース・データを記録保存しているのである。
 誘拐事件の報道規制や、放送するに足らないとして没になったりと、なんらかの事情でニュースが報道されなかった場合も、ニュース・データはすべてAS−LANに蓄積されるのが通例で、これに例外はない。
 そのAS−LAN上に掲載されているマスター・データが削除されるということは、AS−LANの機能上有り得ないことだった。

「……本当に、情報警察でも絡んでるのか……?」

 情報警察とは、群島プロムナードにおけるSYSOPのような職能を持つ群島プロムナード監視機構の俗称である。東京人工群島全域をフォローするWANである群島プロムナードのセキュリティのため、群島プロムナードに接続されているすべてのLANに強制介入することができる、唯一の公的強権を持った組織だ。
 警察と呼ばれながらも本来的に警視庁管轄下の公安組織ではないため逮捕権こそないものの、群島プロムナードにおける情報Gメンとして、日夜凶悪ハッカーの捜査を行なっているWAN保安のエキスパートである。
 ただ、そのやり口が時に行き過ぎではと非難されることもしばしばで、彼らの『捜査のためのコネクト』によって、企業LANが受ける被害は、情報警察が目の仇にしている情報海賊と呼ばれる非合法ハッカー集団によるものと大して変わらない。
 情報警察以外でこういった真似ができるのは情報海賊ぐらいのものだが、情報海賊が削除前に事前通達などしてくるはずがない。

「バックアップはどうしたんだ、バックアップは!」

『バックアップもパーですよ。編集が終わって、飛鳥さんのチェック待ちをしている間にマスターを削られちゃったらしくて、差し止めの連絡受けてから確認したらもう残ってないんですもん。そちらに送ったデータ、残ってますか? そうすれば、最低でもAS−LANにはデータが残せるんですけど……』

 群島プロムナードとは、無限に近いほどの大容量データをメールなどの形で常においておくことができ、信頼性の高いパソコン通信のホストのようなものである。そして、自分の端末がディスクドライブやICカードなどの外部出力を持たないノートパソコンだったら、自分の手元にバックアップなど残す努力をするだろうか。一時的にRAM上にデータを残すことがあったとしても、必要なデータがホストの中にあるとするときに、まったく同じものを自分の手元に残すことに何の意味があろう?
 情報公開とLANへの過度の信頼は、通常なら何の問題も起こさない。しかし、今回だけは特別だった。

「……くー! そんなことならとっときゃよかった」

 根戸がなぜ自宅に、LANと直結させない大容量HDDを置いていたかがわかるような気がした。前から無駄だとは思っていたのだが……次からは自分もそうしよう。

『それから。根戸さんの企画。東京ガラパゴス探検って奴ですけど』

「ああ、それだったら俺が引き継ぐから。あの人の意図もちゃんと押さえてるし、何をどうすればいいのかもわかってる。それに根戸さんを探さないとならないし」

『いや、それなんですけど、局の編成委員会が番組の制作予算を凍結するって』

「な・にぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

『長谷川編成委員長からの直電がありまして「根戸はどうでもいいから、警視庁の対テロ組織設立について周辺を取材しろ」って』

「そんなもん、そんなもん……(興味はあるが……うーん)……いちおー考えておくけど、俺は絶対にあきらめんぞ。局の力を借りないでも、独力で21号に乗り込んで驚愕映像をひっぱってきてやる!」

『あっ、ちょっと! 飛鳥さん、飛鳥さんってば! あす……』

 オペレータの悲痛な叫びはヴィジホンの彼方に断ち切られた。  

 

 


act.1-4;機械に頼るもの
 探偵は憂鬱だった。
 ルフィー西石は、父であるゴールドシュミット公爵の裏をかこうと、東京人工群島のあらゆる情報の走査を試みようとしていた。調べることを身上とする探偵であること、そして群島を初めて訪れたとき、持てる力と金をつぎ込んで作った端末VALの性能に、絶対の自信があったからだ。

 だが、得られた答えは満足のいくものではなかった。
 群島プロムナードは、広域WANとしては情報公開の方向に進みつつある、比較的進歩的WANである。多くのLANも接続されており、公開されている情報も多い。
 しかし、それは機密が存在しないということではない。また人工群島にあるすべての構内LANが群島プロムナードに接続されているわけでもない。
VALを頼みの綱と信じて、中央に接続された各研究所のLANの機密情報を得ようとハッキングを図ってみたものの、そのほとんどに強固なハッカー対策が施されていたのである。

『システム介入プログラム スタンバイ. ドコカラ ハジメマスカ?』

「まずは高度情報処理研究所だ」

『Yes sir. …………アクセス不能』

「全く? 全然ダメということはないだろう」

『Sorry sir. IDチェック デ イキナリ 拒絶サレマシタ』

「……しかたない、次だ。航空工学研」

『コネクト……セカンド・ステージ コネクト……』

「どうだ?」

 モニタがブラックアウトした。

『Sorry sir. 拒絶サレマシタ』

「次だ。バイオスフィア関係……農業工学科のLANはどうだ?」

『農業工学科 ノー コンタクト』

「そんなに強力なのか? 農業工学科のシステムは……」

『No sir. ドウヤラ システムノ電源ガ 入ッテイナイ ヨウデス』

「原始技術研はどうだ」

『原始技術研究所ニハ ターミナル・コンピュータガ アリマセン』

「三宅総研だ」

 次第にルフィーは焦り始めた。VALは、ルフィーが群島にやってきたおりに構築した、愛着のあるシステムである。そして、稼働時の信頼性も決して低くはない。難を言えば、日夜劇的な進化を遂げる人工群島の各研究所の中枢コンピュータと比べれば、少々世代が古くなりつつあるということぐらいのものだ。
 その少々の世代の古さが、始動当時、世界でも最高水準にあったVALの性能を、一般的なありふれたものにさせていたのである。
 そして、三宅総研の構内LANのターミナルとなるコンピュータは、三宅総研サイバネティックス研究所ネットワーク研究室に直結していた。

『コネクトOK セクション1クリア ……セクション2クリア ……セクション3クリア ……セクション』

 かつての世界最高水準コンピュータは、三宅総研のセキュリティを次々と突破した。

『……セクション5クリア OK. シークレット・インフォメーション リードOK. データヲ ダウンロード シマス』

「よーし、いいぞ……」

 しかし、よかったのはそこまでだった。
VALは三宅総研の最高機密らしき情報をダウンロードし始めたが、その内容は世にも難解な論文のようなものだった。

「No! こんなものはいらない。VAL、別のデータを」

 しかし、VALはそれには応じなかった。沈黙を守ったまま、最高機密らしきデータをダウンロードし続けている。

「VAL! 強制切断だ。ダウンロードを中止しろ」

 それでもVALは応じなかった。

「VAL! おい、VAL聞いてるのか!?」

VALはルフィーの指令を一言漏らさず認識していた。しかし……このデータを落し始めてからというもの、すべての制御中枢はルフィーとVALにではなくデータを強制ダウンロードさせている三宅総研側に握られていたのである。
VALはそれこそ、苦し気に強制ダウンロードを続けさせられていた。ダウンロードを中止することはおろか、回線の遮断、自己システムのパワーオフもままならない。しかも、三宅総研からダウンロードさせられているデータは、今時みられない未圧縮のオリジナル・サイズ・データだったのである。

「VAL! パワーオフ! ここのパーソナル・メモリがパンクしてしまう!」

 通常、人工群島に暮らす人々は個人で数IC(1IC=1ギガバイト)、企業なら数千から十万ICほどの情報領域を群島プロムナード上に持っている。もちろん、プロムナードとは別に独自の外部メモリを持つことは特に規制されていない。そのため、ルフィーのように企業並の10万ギガのメモリを個人所有する者もいないではない。
 その10万ギガのパーソナル・メモリが、現実にパンクしつつあったのである。

『オーバーラン オーバーラン ……サーキットガ 加熱シテイマス. パーソナル・メモリノ 書キ込ミ領域ガ タリマセン. 群島プロムナード上ノ 固有情報領域ヲフォーマットシテ 使用シマス. ……書キ込ミ領域ガ タリマセン. 本システムノ AI−RAMメモリヲ フォーマットシテ 使用シマス. ……書キ込ミ領域ガタリマセン. 書キ込ミ領域ガ タリマセン. 書キ込ミ領域ガ……』

 この後しばらくの間、VALは使用不能となった。これまで各種調査支援・情報走査の他、日常茶飯の様々な作業を音声端末VALに頼ってきたルフィー西石は、完全にその牙をそがれてしまったのである。

「Shit!(くそっ!)」

 事実上、何もできなくなってしまったルフィー西石は、VALの修理が終わるまでの間姿をくらましていた。父親の言うなりというわけではないが、一矢報いることもままならなかった自分が情けないやら悔しいやら……。
 後日、西石探偵事務所の近くからは、時折銃声のようなものが聞こえたとか聞こえないとかという誠しやかな噂が流れたが、それがルフィーのストレス発散であったかどうか事実は定かではない。  

 

 


act.1-5;牙あるものたち
 根戸宏の部屋は、群島区西縁島の公営住宅地のマンションの1階にあった。マンションと言っても、団地に毛が生えたようなものだというのが根戸の口癖だった。
 実際、飛鳥龍児が知っている根戸の部屋は、6畳+6畳+ダイニングに風呂トイレ、布団を一組干せばそれで一杯になってしまうようなベランダという、ありふれた2DKだった。
 が、「あらゆる経済力の都民に変化に富んだ住居を」という都庁の方針からかどうかはわからないが、隣室たる農業工学科教授・白葉透の住まいは根戸の部屋とはかけ離れたものだった。

「いつ来ても不思議に思うんですが……ここも都営マンションの一室なんですよね? なのに、どうして白葉教授の部屋だけこんなに広くて、囲炉裏に堀炬燵に……縁側までついているんです」

「わはははは。いいだろう。日本情緒に満ち溢れておって」

 白葉教授に招かれた原始技研助手・境伸也は、深い深いため息をついた。

「……いや、そういう問題ではなく……お隣は見たところ普通の2DK程度の広さしかないように見えるんですが、どうしてその隣室の教授の部屋が4LDK+日本庭園付きなんですか」

「北大からこっちに移ってくるときに、部屋を紹介してもらえたんだがね、そのときに『駐車場付きのみ、庭付き、堀炬燵・囲炉裏付きどれがいいか』と聞かれてね。『えーとね、全部』と応えたらこの部屋を紹介してくれたんだよ。
 いや、まさか本当にそういう部屋があるとは思わなかったがね。まぁ、作ったのは都だがね』

 一瞬、境の脳裏に、白葉を引き留めるためにわざわざそういう構造の部屋をしつらえさせたのではないか、という憶測が浮かんで消えた。

「いや、やっぱり日本の冬は囲炉裏あるいは堀炬燵に限る」

 そういうと白葉教授は堀炬燵の上に山と積まれた温州みかんに手を延ばした。

「どうかね。愛媛みかんや紀州みかんの方が好みかね? 紀州みかんと言えば、この間うちの植物遺伝子研の学生たちに『みかん』をテーマにした研究をさせたんだがね。接き木と促成栽培技術の応用をさせたら、これが『予習みかん』とか『復習みかん』とか『奇襲みかん』とか『復讐みかん』とか……」

 それが決してジョークなどではなく、実際に植物遺伝子研で開発されつつある新種のみかんであることは間違いないのだろう。どういった趣向の植物であるのかを訊ねるつもりはなかった。聞けばもっと詳しく説明されるに決まっているからだ。

「……で、私はこう思ったわけだ。ブドウとスイカは同じツル性植物なわけだから、遺伝子的にも近似しているはずで、これらを掛け合わせブドウの特性をスイカに合体させて、そう、ブドウのようにスイカを鈴なりにさせる新種『グレープ・スイカ』も十分可能だなと。それでだね」

 境が白葉邸を訪れたのは、白葉教授の新品種の論説を聞きにくるためではなかった。それに普段の境なら、このペースで喋り始めた白葉教授を止めることはできなかっただろう。
 しかし、今日の境はいつもと違う。それなりに。

「あの、教授。今日、お邪魔したのは先日の21号についてのお話をうかがうためなんですけど……」

「お。おーおーおー。そうだった、そうだった。で、どこまで話したかな?」

「まだ本題のほの字にも」

「そうかね。まあ、みかんでも食べたまえ。実はそのことで飛鳥君から連絡があってな。飛鳥君には会ったことはあるかね?」

 ストーリーテラーは過去のOSPをチェックした。
 よし。

「いえ、ないと思います」

「そうかね。もうじき彼がここにくる。なんでも、21号のことで打ち合せがしたいそうだ」

「そうですか……」

 境は再び息をついた。きっと白葉教授は飛鳥が現われるまでずっと喋り続けるだろう。こんなことなら、遅れてくればよかったな……と彼らしからぬことを考えていたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「おお、きたな。上がりたまえ、上がりたまえ。突き当りを右に折れていちばん奥の部屋だ」

「うーん、隣の根戸さんちが、2DKだなんてとても信じられないような間取りですねー(・_・;)」

 境は思った。どうやら多少はまともに話のできる人かもしれない。

「突然ではありますが、今回の番組のディレクターである根戸宏が失踪しました」

「いつ!」

「どこで!」

「残念ながらニュースとしては報道されませんでした。ラインに乗る前に、報道規制が敷かれて、マスター・データを消されてしまったものですから……。先日ご覧いただいた21号の映像を憶えてらっしゃると思いますが、あの後、21号で消息を断ちました」

 室内に重苦しい空気が満ちてきた。

「根戸宏失踪を知っているのは、ASの関係者と我々だけです」

「捜索願いは出したのかね?」

「……我々は21号を人跡未踏、初潜入の探検の地としてとらえるというコンセプトで取材計画を推し進めてきました。それは根戸も同じです。それを……警察などに踏み荒させるわけにはいきません。教授だって、貴重な植物サンプルをかき回されたくはないでしょう?」

「む……確かに」

「群島区南はもともと所轄警察署が確立されていない土地です。さらに今、群島東署の壊滅で群島全域の警察は、とてつもない人手不足に陥りつつあります。たとえ噂の……航空研絡みで進められているとかいう対テロ組織ができても、都外からの応援を頼んだとしても、たった一人の人間のためにローラー作戦をする余裕は、今の警察にはありませんよ。それに、あのちっぽけな島に危険があるかもしれないなんて、誰にも信じてもらえないでしょうし」

「……危険? 他にも何か?」

 飛鳥は初めて白葉を訪ねた時と同様、小さなカード・メモリを取り出し、堀炬燵の部屋の壁面モニタを探した。

「あの、この部屋のコンソールはどこですか?」

「これのことかね?」

 白葉教授は寄木細工の小さな箪笥を指さした。引出しをあけるとスロットがついている。

「……いい趣味ですね」

「いや、ありがとう」

 飛鳥は引出しの中のパネルを操作して、モニタに映像を映し出した。

「根戸とツー・マンセルで先行ロケに出かけていた新田という者は、海上保安庁に発見されて無事でした。彼はまだ錯乱状態で、はっきりした事情はわからないんですが……彼の持っていたキャメラが回りっぱなしになってまして。そこから得られた映像がこれです」

 モニタの画面はずいぶんと乱れていた。どこを狙っているのか、いやキャメラを回したまま担いで走るとこのように映るかもしれない。上下左右にふられ、オート・フォーカスが間に合わないため、ピントも合っていない。
 時折、ピントが合って森の中が映る。茂みの中を映して真っ黒になったり、遥か頭上に揺れる梢を映したり。どうやら転んでキャメラを取り落としているらしい。

「ここです!」

 飛鳥は映像を止めた。

「見えますか、これ」

 モニタの隅に、木が映っている。しかし、その木の幹は何か鋭利なものでざっくりと切り裂いたような痕がついている。樹液のにじみ具合いから見ても、それがついぞ最近作られたものであることがわかった。そして、それは人間の手では届かない場所につけられていた。

「ナイフや山刀の痕……というわけでもなさそうだな。見たまえ。恐らく同時につけられたものと思われる痕が二条ある。これは何か爪のようなもので引っかいた痕とみるべきなんじゃないかな。肉食かどうかは断言できんが、それに類する獣が生息しておる可能性が高い。もちろん、あの島の面積を考えたら肉食獣の個体数がそんなに多いとは思えないが……」

「しかしこの島が危険な場所であることには間違いない。それが野生化した猫なのか、犬なのかはわかりませんが、危険は皆無ではないのです。だからこそ一刻も早く根戸さんを探し出さなければならない」

「これを見せて局を説得したかね?」

「ええ、さっき。しかし編成の連中は信じようともしません。それどころか、当事者の根戸さんがいなくなったのをいいことに、番組制作予算の凍結確定まで言ってきました。せっかく、助力いただくお約束までとりつけさせていただいたのですが……」

「……むぅ、なんということだ」

 さすがの白葉も血色を失ったようだった。

「それで、飛鳥君。君はどうするつもりかね? 番組の中止を伝えにきた……というだけではないだろう?」

「俺は、有志をかきあつめてでも、いや一人でも21号に取材にいくつもりです。ただ、21号が危険な場所である可能性は、これまで以上に高くなりました。白状するなら、最初根戸さんは、21号を危ない場所のように見せる演出をするつもりだったのですが……」

「ヤラセって奴ですか」

「……ええ。ですが、これは我々の演出の成果ではありません。ですから実際に21号に上陸した後、何が起こるのか僕にも予測できません。
 21号のことをどう認識しているにせよ、これ以上の犠牲者の出る可能性を減らすということであれば、編成の連中の方針は間違っていないかもしれませんが……それでも俺は行こうと思います」

 境は、ほんの数日前にESSEに向かって宣言した自分の姿を、この日初めてあったばかりの飛鳥の中に見いだしていた。

「僕は21号の中におそらくいるだろう人物の身柄を心配しています。今日の話を聞いて、なおさらね。そして、僕は密林の専門家ということで、白葉教授の指名を受けた者です。何かの役に立てると思いますが……」

「境さん!」

 境は運命めいたものを感じていた。飛鳥と思いを同じくしていたことに、ではない。
 これまで実験考古学という金にならない研究を、あえてしかも東京湾のただ中で続けてきたことの意味は、ここにあったのかもしれない。しかも、東京人工群島の中に出現した密林の島……。これは偶然で済まされるような類のものではありえない。意味のある偶然は必然なのだ。
 根戸失踪も東京ガラパゴス探検番組も、すべてそのきっかけとなる口実にすぎなかったのではないだろうか。

 境と飛鳥がお互いの決意を確かめ合っているとき、白葉教授は燃える青年たちを前に満足そうに目を細め、いちばん美味しいセリフを口にした。

「で、私は何をすればいいのかね?」

 ここに、根戸捜索あるいは21号解明のためのチームが成立したのである。  

 

 


act.1-6;しなやかなもの
 いまやマツリのときは終わりつつあった。
 鷹の頭を模した飾りをつけた火渡貴子は、6本の柱で作られた簡素なヌサ場に舞を捧げた。今日得ることのできたエモノや糧に感謝し、祝詞(のりと)を上げて村の送り場に送り出す。
 北の採集狩猟民族にも良く似た風習があった。獣、魚などあらゆる糧となる生き物は、神からの贈り物である。狩などによってこれを得た者は神の贈り物を賜ったのであり、肉や毛皮を得た後、獣や魚に宿っていた神そのものを送り場から神の世界へ送るのである。
 同様に、大地から得た日々の糧に感謝し、糧となるものに宿っていたものを大地に帰す。それは、大地と暮らす火渡たちにとって、この上なく重要な儀式だった。
 西欧に多く見られる「人格神と契約をかわす」という宗教は、ここにはなかった。また、法典や教典といった「教え」はなく、糧をくれる大地に宿るものたちは心の迷いを救ってもくれなければ、祈ることを強要もしなかった。
 あえてあげるならば、大地に宿るそれらのものは「精霊」と呼ばれることもある。しかし、キリスト教の三位一体の精霊や、北欧の民話に見られるニンフ、ノームなどの精霊ともあきらかに違う。
 ここでは、あらゆるものに「それ」が宿っているのだ。

 一日の無事を喜ぶ大事なマツリは、一日の終わりに欠かさず行なわれてきた。そう、この「おんごろ」に到達してから、ずっと。

 原始技術研究所を去った火渡貴子とその一派は、原始技術の復元と実用、縄文人的生活の実践などの研究のために、原始力研究所を名乗ってその新天地を21号埋立地に求めた。農工学科と同調する原技研(磐田研)のやり方に反対しての独立である。農工学科の管理・制御する牧場で、都合のいい部分だけを再現するだけでは縄文人的生活を真実再現することはできない……それが、貴子の主張だった。
 当初は、21号に根を下ろした貴子たちの間にさえ試行錯誤はあった。
 分派であるとは言え、貴子についてきた者達も縄文文化・文明研究の研究者である。これまでに得てきた数々の文献や資料などによる知識を試そうと、様々なことを試みた。縄文様式の縄目文様を彫り込んだ「御柱」を建て、祭祀所として復元してみたりもした。
 が、次第に理論実証派は駆逐されていった。
 そもそも縄文文化・文明と言っても、様々な学説学派がある。確かにまとまって相当量の資料を得ることができ、研究も比較的進んでいるとはいえ、縄文時代の定義も縄文文化を遂行してきた土地の分布も様々である。
 理論に合わないから現実を理論に合うように実証するのではいけないのではないか……?
 そういった疑問が、よりプリミティヴなキーパーソンから出されたためである。この場合、キーパーソンとは原始力研究所所長・火渡貴子をさす。
 かくして火渡派は文献・既成の知識に自分達の行動を合致させることを捨てた。結果として、生きて行くために必要なものが残った。そして次第に、重要でないものは重要でないものの意味が、重要なものには重要なものの意味があることが、解っていったのである。
 それは、論理に基づく理解ではなく、生活体験と意識変革からくるものだ。大地によりそえばよりそうほど、自分と大地の関係が見えてくる。わかりやすく訳せばそういう意味になる。
 そういった自然派的生活を推し進めた一団がこの火渡派であった。
 言うなれば彼らは一種の「コミューン」であると言えないこともない。しかし、契約や規則で縛られるのとは異なり、火渡派は「ここでこうしているのが、自分にとって何の不思議もない、いちばん自然なことなのだ」という境地を目指し、そこから何かを得ようとしていた。
 21号埋立地を「おんごろ」と呼び始めた頃、そういった意識が火渡派の中に残っていたが、今ではそれを「そうと意識する」意識さえ薄まりつつある。彼らにとって「今」が当然なのだ。
 火渡派のほとんどが、そうして研究者としてでなく自らの欲求に正直に振舞い始めた頃、火渡貴子は彼ら火渡派という「部族」の中で、シャーマン(巫女)的な立場を得るに至っていた。それは誰が敬ったでもなければ貴子自身が宣言したのでもない。火渡派の中で、恐らくもっとも自然に自らの欲求に素直になれる、もっともピュアでプリミティブな存在……それが火渡貴子だったのだろう。火渡派の人々は、より自然に振舞う貴子を、自分達の行動の規範とするようになっていった。

 貴子の舞が終わった。ドラムの音が途切れる。
 炎はすっかり小さくなり、真っ赤な置き火ばかりになりつつあった。
 マツリの終わりを告げる貴子の甲高い遠吠えがあたりに響きわたる。
 そのとき火渡派の一人が、昼間救った男の姿が見えないことに気づいた。

「貴子。あの男がいない」

「ほっておけばいい」

 貴子は、興味がないといった風に首を振った。

「彼はマレビトよ。もし望んできたのなら受け入れなければならないかもしれないけれど、そうでないのなら無理に追うことはないわ」

 貴子の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。先ほどまでの優雅で激しい舞の名残りだ。かすかに上気した頬は、すっかり消えかけている置き火に照らされて薄赤色に見える。
 貴子はマレビトという言葉に、格別の思い入れがあるようだった。
 マレビト……外人(そとつひと)とも言うが、部族社会、ムラ単位での生活が多かった古代日本において、ムラの外からやってくる存在の意味は大きい。あるときは災いを運ぶものであり、またあるときはムラに変化と活力を与える者でもある。
 冬の夜に現われて一晩の仮宿を貸すと、翌日畑に水を湧かせてくれる旅の僧の語り草や、旅の若者を村中の娘が代わるがわるもてなし何日も逗留させるなどといった民話が、マレビトが特別であったことを如実に表わしている。
 そのとき、昼間、根戸を拾ってきた男が提案した。

「いや、彼はマレビトだ。閉じた系の中に暮らす我々にとって、外界から訪ねてきた大事な客でもある。それは、日々の糧の姿をとって現われるものたちと同じだ」

「天野さん……」

「それに、夜は危ない。特に一人では」

 貴子を巫女に例えるなら、天野泉は神官または口寄せとも言える存在の男である。火渡派の重鎮の一人であり、貴子が内なる衝動に身を任せて行動するタイプとするなら、天野はそれと対を成す理知の男だった。
 そして、まだ火渡派が原始技術研に属していた頃は、実験考古学を主体とする原始技術研の中においては例外的というくらいの理論先行派であった天野が、なぜ火渡派に参加しているのか、不明な点も少なくはない。
 だが、貴子の行動を解釈し意味づけをして、その他の火渡派に伝えるという重要な役割は、今や天野以外ではなしえることができなかった。
 同時に、貴子を抑えられる唯一の人間でもあった。

「彼を迎えたのは私だ。だから、私は彼を守らなければならない」

 貴子の直感は沈黙していた。天野が何をもくろんでいるのか、その考えを汲み取ることは今の貴子にはできなかったが、天野が本気で根戸を迎え入れようとしていることだけは貴子にもわかった。
 天野は使い込んだ手製の弓を取り、数人の仲間を連れて宵闇の中に姿を消した。

「……あの男がいなくなったのに気づかなかったのは俺です。つい、火渡先輩の舞に見入ってしまって……。俺も天野さんの後を追って、あの男を探しに……」

 まだ少年のあどけなさを残す、貴子よりひとつ年下の1年生がすまなそうに言った。

「いいのよ。あんたが気にすることじゃない」

 貴子自身は、根戸を21号……おんごろに迎えることも、彼がこの島にきたこと自体も歓迎してはいない。もちろん、この島には世にあまり知られていない獣による危険が多い。それは事実である。
 だが、根戸の身を救った後、何もムラに連れてこなくともよかったのではないか。西の沼(湿地)のあたりに置いてくれば、外界の誰かが見つけて彼を運びだしたのではないか。確かにこの島の夜は危険といえば危険だが、ムラから逃げていった者を探しだして、もう一度ムラに連れて来ることに何の意味があるのか。根戸がこのまま誰にも見つからずに、島から去ってくれることが、貴子の望みだった。
 そして、天野の言葉になぜか逆らい難いものを感じる自分に、少しだけいらだっていた。

「昼間、『御柱』の近くに、アレが出たそうよ。天野さんたちが心配だからちょっとでかけてくる」

「あの、俺も!」

「あんたはだめよ。ムラにいなさい。いいわね?」

 貴子は、ガラスを砕いて作った鋭利な打製石器をくくりつけた槍を持つと、真っ暗な森の中に消えていった。
 豹のように素早く、猫のようにしなやかに。
 

 

 


act.1-7;覚悟を決めるもの
 局との折衝は続けられたが、結局、番組の制作予算の凍結は確定的となったまま、取り下げられることはなかった。主幹を欠いたままの東京ガラパゴス特番は、早くも空中分解の様相を見せ始めていた。
 どんなに根戸宏を真似てたちまわろうと尽力しても、根戸のような魔術師的手際を完全に再現することは、今の飛鳥龍児にはまだ無理だった。きっと、ジェーン壱代寺一人をあしらうことさえできないだろう。

「それでもやるしかないんだ。今は……」

 飛鳥は編成へ申し出て、正式に根戸の残した企画を受け継ぐ手続きをした。が、予算が出ない以上、事実上は飛鳥の遊撃隊的撮影行をAS局が黙認しているという形になった。
 書面を一瞥し、飛鳥は担当の編成委員に確認した。

「なんらかの成果があれば流してやらないこともない。しかし、そのための資金援助は一切行なわない。
 ただし、スタッフを有志で募ることに関しては特にこれを制限しない。そういうことですね?」

「その通りだ」

 30過ぎの編成委員は、何かすっきりしないといった顔でうなづき、呼びつけてあった飛鳥の襟元をつかんで自分の顔を寄せた。

「おい、研究生……」

「飛鳥です」

「実績のないやつぁ研究生で十分だ。おめぇ江戸川大学から編入してきてこの方、まだ実績っつぅ実績をあげてないだろうが。このまんまじゃただの金食い虫だろう。そう言われるのが嫌なら実績を上げろ。洋上大学はどこもそうだが……やる気のねぇ奴、実績のあがらねぇ奴はいらねぇんだよ。わかってんだろうな」

 洋上大学では学生本人の自主性とやる気が評価の対象となる。やる気があればあるほど、資金も設備もチャンスも与えられる。それで実績を上げられれば、学生の評価はあがり、さらにしたいことを成功させるための環境に近づくことができる。
 飛鳥龍児が研究生として洋上大学マスコミ学科に編入し、研究費という名目の学資を支給される身分を得たのは、ひとえにその「やる気」を評価されてのことだ。根戸の企画を引き継ごうという飛鳥の姿勢はやる気の表れ以外の何者でもないはずにも関わらず、状況は飛鳥にとって好都合とは言えない。
 編成委員は、さらに顔を近づけて言った。

「いいか、研究生よく聞け。根戸宏っていうのは、無策無謀でハッタリ屋だ。そして、知らなくてもいい、よけいな事まで知っている嫌な野郎だ。下衆野郎って後ろ指さされて、後ろから刺されるようなことさえ、有り得ないとは誰も言い切れないような男だ。まぁ、ここしばらく付き合ってみてわかったと思うがな。
 だが、それはそれで有能でもある。余計なことまで知ってて、ハッタリ勝負のできる下衆野郎ってのが何の条件だか知ってるか、おい。これぁ、ブン屋の才能だ。事件をかぎつけ、デカデカと報道するために必要な才能って奴だ。
 根戸宏って男は……まったく今回は何をかぎつけて誰に恨みを買ったんだか知らねぇが……ブン屋として、特番ディレクターとして、AS創立以来の才能を誇ってる。歳だってまだ若い。これからどんどん下衆を磨いて、もっとひどい最強のブン屋になれる男なんだよ。そして、あの野郎はASにとっても無視できない逸材なんだ。
 その根戸をなくして、ASがハイハイと引き下がってると思ってるわけじゃねえよな、おめえ。
 今、局の上にかけられてる圧力は、残念ながら局全体としてははじけねぇもんらしい。ペンは剣よりも強し。はっ、だがペンよりは金の方が強えってわけだ。
 研究生。お前の引き継いだ根戸の企画に金が出なくてしんどいだろ。これもその金主の差金らしい……と思って諦めな。だが、うちから金が出なかったとして、研究生のおまえがどう動き回ろうとうちは一切関知しねえよ。止めろって言ってるやつがいるようなコトを続けようってんだから、危険もつきまとうわな。
 おめえ、それでもやる気あんのか?」

 飛鳥は黙って諾いた。

「はん、現場を知らねぇってのは怖いモンなしだな。怖えぜ。権力の使い方を本当に知ってる奴を向こうに回して、つかみどころのねぇ取材をすんのはよ。
 まぁいい。やるってんならうちは止めねえからよ。勝手にやって成果をあげて、何かつかめたらもってこい。そんときゃぁ俺が流してやる。誰が何をいってこようとも、だ。
 その代わり条件がある。
 根戸宏を見つけてこい。必ず、生きた根戸宏をひっつかまえて、俺の前に連れてこい。あんな下衆野郎でも、おめえよりはずっとベテランなんだからよ。
 いいか、研究生。おめえは根戸が戻って来るまでのつなぎに過ぎねえことを忘れんなよ。本来ならおめぇみたいなヒヨっこに、いきなりディレクターをやらせてやるほど、俺は優しかねえんだよ。わぁったな?」

 飛鳥は手続きのための書面をまるめてポケットに押し込むと、編成委員に一礼してドアくぐった。
 背後からもう一声かかる。

「がんばれよ、飛鳥。根戸をみつけてきてくれ。頼むぜ」

 ASは、何者かに圧力をかけられていて、根戸のやろうとした取材、根戸自身のこと、根戸の居所を探す行為などができないらしい。そこで、表向き根戸の件から手を引く形をとり、研究生という怪しまれにくいだろうと思われる立場の飛鳥に、すべてを委任したわけだ。
 もちろん、危険率はすべて飛鳥に上乗せされていくわけだが、飛鳥が根戸の企画を引き継ぐことを決意した時点で、それらの危険のすべても引き継ぐことが決定していたのである。
 飛鳥は、根戸宏が関わっている事件の深さ大きさと、それでも根戸宏を気遣う者がいることを実感させられた。

 今後、根戸と同様のことが飛鳥に起こらないとは言えない。否、これまでは根戸だからこそ、あの凶運で乗り切ってこれたのかもしれない。並の運しかもちあわせていない飛鳥では、どうなることかわかったものではない。
 飛鳥はこれまでの経過をすべてまとめ直したメモを作った。
 根戸の考えていること。この21号への探検の意味、そして目的。その根拠。現在起こっていること……。
 その内容は……ガラパゴスクエスト1のLOGをすべて集めたくらいの内容だと思ってもらいたい。結構ある。

 それらを電子的に削除される可能性のない、紙のメモ帳というレトロなものに書き移した。同じものを二部作り、一部を例の編成委員当てに。そしてもう一部は誰に託そうかと迷った末、平山恭子を候補に上げた。
 飛鳥龍児は自問自答した。悪魔と天使が飛鳥の意志の天秤を左右する。

飛鳥悪魔「平山さんに渡して大丈夫か? 騙されていたとはいえ、ルフィー西石の手先であったこともある人だ」

飛鳥天使「いや、大丈夫だ。ルフィーは平山さんとの痕跡を断つ工作をしているだろうから、今更近づくはずがない」

飛鳥悪魔「しかし、相手はあのルフィーだ。金持ちだからな。なびかんとも限るまい」

飛鳥天使「有りえん! 彼女は、自分を騙して利用してきた男に尻尾をふるような人じゃない!」

飛鳥悪魔「どうだかな。同じ男に何度も騙される女だっているぜ」

飛鳥天使「俺は彼女の涙を信じる」

飛鳥悪魔「男は女の涙に弱いからな」

飛鳥天使「それでも信じるさ」

飛鳥悪魔「勝手にしな」

飛鳥天使「勝手にするさ。平山さんにこのメモを預ける」

 飛鳥はメモを入れた封筒よりもう一回り大きい封筒を用意すると、平山恭子の名を書いた。そして、一筆したためる。

『もし、何かが起こった時にこの封筒を開けて下さい。本当はもっとあなたのお話を聞きたかったのですが、私も根戸さんに似て、こういう事件があると身体が先に動いてしまうのです。すみません』

 そして封筒に封入したメモと手紙を、一回り大きい封筒につめて封をした。
 そのとき、制作部の入口に人の気配を感じた。

「!?」

「まぁだ、帰らへんかったんですか」

 それは病院に収容されていたはずの、新田アインワース雅文だった。

「? 新田氏じゃないか。もういいの? 身体の方は」

「へぇ……心配かけさしてもうて、えろうすんまへん」

 新田は申し訳なさそうな顔で言った。

「飛鳥はん。あんさん、21号に行かはるんでっか……」

「ああ。根戸さんを探さないとね」

「さいでっか……」

 新田の目は困惑しつつ、そして葛藤の渦中にあるようだった。

「21号取材は、今日付けので俺が引き継ぐことになった。根戸さんが復帰するまでの間だけどね。それから、局から金がでなくなった。ま、一応、当ては作ってあるんで、取材費用はなんとかなりそうだ。問題は……人手かな。一応、『有志』という形で、局の人間も使えることになってるけど……なんせ事態が事態だ。誰にも強制はできんしね」

 飛鳥は2通の封筒を作ると、一部を誰もいない編成委員のオフィスに放り込み、もう一通を懐にしまった。

「……んで、こいつは郵送っと」

「飛鳥はん、わし……」

「ん。わかってる。無理強いをするつもりはないさ。ただ根戸さんと21号に入った唯一の人間だからな。きてくれたら心強いんだがな……」

「すんまへん……」

「もし気が向いたら、俺あてにいつでもコールしてくれ」  

 

 


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(c)1992楠原笑美.