「………………………………………………………………………………………………」
マイヤーは、絶句した。
午前十時三十分の集合時間に五分ほど遅れてやってきたとき、すでに軍事学部のフィールドは大小様々な牛で溢れ返っていたのである。より正確に言うなら、すべてのメンバーがどこで調達してきたとも知れぬ牛柄の野戦服に身を包んでいたのだ。ひとり残らず……。
「……何だこれは」
一番手近にいた中川を捕まえて、放ったその言葉がマイヤーの第一声だった。
「俺に聞くな」
怒声を……なけなしの自制心で抑えているのが分かる。
似合いもしない牧場迷彩(注/牛柄の別称。チャン・リン・シャンによる命名)の野戦服を着せられて、大の男が晴れやかでいられるわけはない。中川の表情は不機嫌そのものだった。
「……何だこれは」
似合わないのは中川と同様だが、それでも女の子たちの手前……そして何より企画発案者の手前、群島のお兄ちゃんの手前、にこやかな表情を保っている広田を捕まえて、ほとんど食ってかかるような勢いでマイヤーが第二声を発した。
「…………」
広田は答えず、ただ視線をじりじりと横へ動かした。
その視線の先には……せせら笑うように(注/本人はあくまでも愛想笑いのつもりである)マイヤー用の牧場迷彩の野戦服を持って立っているチャン・リン・シャンの姿があった。
「ひいきにしているブティックで注文したのよね。思ったよりいい出来だったわ。規格外のマイヤーでもバッチリよ」
誰もそんなコトは聞いていないし、チャンのごひいきのブティックのことなど(よもやこんな服を扱っている店のことなど)聞きたくはなかった。……いや、間違っても足を踏み入れることのないよう、店の名前と所在地くらいは念の為に聞いておくべきなのかも知れないが……。
「何のつもりだ」
「まーちゃんっ! 早く早く〜」
チャンに詰め寄ろうとしたところで、香南にそう呼び止められる。広田の手で改造を施し、パワーアップしたM60を抱えて、その顔はゴキゲンそのものである。
『将来のことどうしろとかさ……そんなコト言うつもりは俺にはないよ。マイヤーが責任をいろいろ考えてるのは分かるし、それは多分香南の為にもいいことだと思う。でもさ……たまには香南の為に羽目をはずしてやれよ。一緒に……香南の視点から何かを見て、一緒に馬鹿やって遊んでやれよ。あの娘は――将来のことなんか、まだ何にも決めてないんだから。それはこれからマイヤーの後を追いかけて行きながら決めて行こうとしていることなんだからさ。……香南と一緒に、遊んでやってよ。マイヤーだってさ、ベソかきの香南より、嬉しそうにしてる香南の方が好きだろ?』
その広田の言葉と香南の笑顔がなければ、多分マイヤーは牛の群れを一目見ただけでUターンしていただろう。
「じゃっ、後は若い人たちに任せて……私はこれで失礼するわね(^^)。さ、お仕事お仕事……」
香南を振り返ったマイヤーの視線に、普段は決して見せることのない和らいだ表情を見つけてチャンは身を翻した。
(あ――いいコトした後は気分もいいわ(^^)。やっぱ仕事の息抜きはコレに限るわよねえ)
チャンが心の中でそんな事を考えていたなどとは、誰も知らない。ただマイヤーには、帰りしな彼女の口にした、
「のろけてもらった分は身体で返してもらうわね」
……というその言葉が心底恐かった。
広田からのルールの説明が簡単に行われ、香南のM60と真奈美のウージーの乱射によるきょんのペイント弾蜂の巣攻撃を皮切りにゲームは開始された。
(情けない、余りにも情けないぞ、篠田清志!!)
篠田(弟)の補習が確定したのは、もちろんその瞬間である。
だが苦戦という意味ではマイヤーも同じだった。歴戦の強者である彼も、勝手の分からないゲームでは他の連中と同じく若葉マークつきの初心者である。そこへ持ってきて、戦場での経験が、大いに邪魔をするのだ。
しとめた、とそう思っても、エアガンでは射程が足りない。
「いや〜ん、ユッコ爪が割れちゃったわ〜」
なんて泣き言を言う味方にも……いつもの調子で怒鳴りつける訳には行かないのだ。
調子が狂う。
狂いっぱなしである。
勝ってしまっては興ざめだが、やはり軍事学部の助教授の肩書きがある以上、無様な負け方をする訳には行かない。
(…………ど、ど、ど、ど、どうすればいいの? サバイバルゲームがこんなコワイものだなんて、全然知らなかったわ。ああっ、でも駄目よ。ここでビクビクしたらいい笑い者だわ。たかだかインクの詰まった弾が飛んでくるだけよ。牛柄の服くらい、何でもない事なんだわ。私は……私は気丈な女なのよ…………)
今にも泣き出しそうな顔でフィールドに立ちすくんでいる稟が、それでも一発も弾が当たらない辺りに、周囲の気遣いが滲み出ている。
舞い上がった土ぼこりにコンタクトレンズの目をやられ、滝のような涙を流しつつわんたん羽山が衿霞とユッコと綾子の三人にねらい打ちにされた。総数100発を越えるだろうと思われるMIL特製のペイント弾を食らって、羽山は声も出せずにその場に倒れる。
「……」(羽山は起きあがらない)
「……」(まだ起きあがらない)
「……」(……ようやく、その手がぴくりと動いた)
顔を見合わせた男たちの表情に、
『冗談じゃねえぞ、おい』
……という戦りつが走った。
こんなものを女の子たちに向かって発射するわけには行かない。そして同時に、こんなものを食らいたくはない。
「どこへ行く、中川」
そろりそろりと戦列を離れようとした中川に、マイヤーの怒号が飛ぶ。
「いやあ、俺ももう歳でね」
「俺より十歳も若いと自慢していたのはお前だろうが……」
「……そりゃあ言いっこなしですぜ、旦那」
「敵前逃亡は銃殺だぞ」
「…………」
もはや中川も羽山やきょんと同じ……ただの標的である。
巽(息子)もすでに戦死。箕守も稟の乱射する弾丸の前に倒れ、広田は真奈美に狙撃され、巽(父)も忍武も野村も戦死している。
残っている男は……中川とマイヤーだけである。
(戦争で死ぬなら、早いうちのが苦労がなくていいって言ってた映画の台詞の意味が、よく分かった………………)
その場で一発でしとめてくれた真奈美を女房にして良かったと、中川はつくづく思った。
二回戦、三回戦もその調子で続き、回を追うごとに野郎どももぷっつんしはじめ、女の子の犠牲者が目立ち始める。
こうなったら、ヤケだ。
後でおごって謝ろう。
せめて顔だけは狙わないようにして……。
そして全五回戦のサバゲー大会が終わったとき、最後まで一発たりとも弾丸を食らわなかったのはフィールドの真ん中に立ち尽くしていただけの、高梨稟だった。
ちなみに稟は渡されたMP5を手に……ただの一度も引き金を引くことなく終わった。
(……私って、私って駄目な女ね……)
そしてサバゲーの後は、チャンの手配によって『味の屋』での宴会へとなだれ込んだ。この宴会も、勿論チャンのポケットマネーによるオゴリである。
宴会は、同時に『恋の日和作戦』の打ち上げ宴会でもあった。
「唯ちゃんと沫さん、やっぱり来なかったね……克っちゃん」
「ああ。そうだな」
「寂しい?」
「あいつらには、その方が似合ってるよ。仕事以外の場所で会って、一杯おごるさ」
真奈美と中川がそんなことを話しているのを、広田はウーロン茶を飲みながら聞いていた。
今日で、広田もゼロワンSTAFFを辞めた。
もともとラブシックを追うためにスパイとなったのだ。事件が解決した今、広田にはゼロワンに留まる理由はなかった。そして広田にはもっと別にやらなければならないことが山積みとなっている。
中川は、何も言わなかった。
アーマスの代わりに広田をこき使ってやろうという目論見が、なかった訳ではない。
だが……引き留めるなんてのは、柄じゃない。
(唯も沫も広田も……正義の味方が必要になったときにはまた声をかけるさ。今度はもっと、カッコいい役を用意して――)
宴会は、その後ゼロワンSTAFFに場所を移して朝まで続き、忍武の点てた抹茶できれいに締めくくられた。
佐々木建設の仕事で得た貯金が最後の1円まで使い尽くされているのだと中川が知ったのは、その翌日のことである。
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