ACT6-11;恋のサバゲー作戦

『退院したら、みんなで一緒にサバイバルゲームをしよう』

 その広田の言葉通り、軍事学部のフィールドを借りてのサバイバルゲームの企画は着々と進行していた。
 いや……当初の予定としては軍事学部は無関係だったはずだった。花見のできる丘公園あたりを使って、人数も十人くらいで……というのが広田の立てた『当初の予定』だったのである。
 広田としては香南とマイヤー、それにラブシック騒動の渦中に否応なしに立たされてしまった稟を誘い、あとは標的代わりに羽山ときょんでも引き込んで……まあ、真奈美と中川は放っておいてもついてくるだろうし……綾子あたりを誘うのも一興かもしれないなあ……と言うくらいのあくまでも小規模なものだった。
 ……が、しかし、得てして『当初の予定』は予定通りには進まないものなのである。
 まず、巽(息子)がきょんに引きずられて芋づる式に増えた。息子からその話を聞いた巽(父)が、

「往年の“鬼の巽(自称)”の実力を見せてくれるわ」

 ……と参加を表明。

「なんや面白そうなねえ。うちも出してや」

 さらに衿霞が参入。
 サバイバルゲームをどこまで理解したのかは不明だが、ゼロワンSTAFFでの話を聞いて忍武も参加を決めた。
 まあ……この辺までは予定には入っていなくても、予想くらいはできた人員である。
 そこから先が、いかにもゼロワンSTAFFがらみの企画らしい、訳の分からない展開だった。
 まず、たまたま中川の注文していたパソコンの付属品を持って現れたAREの野村が引きずり込まれる。

「ユッコを無視しようなんて、秋野ちゃんてばちょっと冷たいんじゃない? ユッコと秋ちゃんの仲じゃないの」

 篠田(姉)がさらに増員。
 ちなみに“ユッコと秋ちゃんの仲”がどんな仲なのかは、ゼロワンSTAFFの誰にとっても……もちろん広田にとってさえ、不明である。

 人数がそこまで増えたところで、広田はため息をもらした。どう考えてもこれだけうぞうむぞうに増えたメンバーがライフルやマシンガン(勿論エアガンではあるが)を片手に花見のできる丘公園に乱入という事態はヤバすぎる。
 あれだけの面積のある公園だから、物理的には何とかなるかも知れないが、それでは近所の皆様にご迷惑というものだ。
 あの公園は、住民のみなさんの憩いの場なのだから……。
 企画の発端が広田とマイヤーというほぼ常識的な判断を持った人間だったからこそ出てきた心配りと言うものだろう。
 これで発端が「あれ」や「あれ」や「あれ」だったりしたら(問題/「あれ」に該当する適当な語句を各自入れよ)そんなことはお構いなしだったに違いない……とSTは思う。

「軍事学部のフィールドを使えばいい」

 ……と言い出したのはマイヤーだった。
 いわゆる職権乱用という奴だ。

(日頃は融通の聞かない石頭にも見えるけど、香南が絡むとやっぱり違うなあ……)

 広田はそう思ったが、勿論口には出さなかった。
 洋上大学の学部としては珍しく部外者に対する敷居の高い軍事学部で、助教授公認のもとにサバゲーをできる機会などそうそうあるものではない。広田もやはり人の子、隠されたものはのぞいてみたいという好奇心だってちゃあんとあるのだ。
 マイヤーは“軍事学部志望の高校生のための模擬演習(自由参加)”というかなり強引な名目でフィールドを確保したらしい。
 ……マイヤーにそんなしたたかな真似が期待できるとは、たぶん誰も思ってはいなかった。
 さすがに軍事学部の武器までは許可が出ず、調達は広田が引き受けることとなった。
 そう……広田と言えば、MIL。MILと言えば三宅教授である。

「うははははははは。サバゲーかね、広田くん。ナニ? ゼロワンSTAFFが主催して軍事学部で実施……? 武器はすべてMILに任せたまえ。うはははははははは」

 その三宅の高笑いには聞いている広田も、ちょっと背筋が寒くなるものを感じた。

(教授……せめて死人が出ないようにお願いしますよ……)

 祈りにも似たその言葉を、だがやはり広田は口にはできない。
 断ればもっとコワイ事態になることは目に見えているのだ。
 そして……ゼロワンSTAFFから話が出て、MILと軍事学部の絡んだとなればもうひとり、出てこないはずはない(そしてできればマイヤーにとっては出てきて欲しくない)人物がいる。

「きょんにまで声をかけておいて……アタシをのけ者にするなんて、ひどいわ(T_T)、まーちゃん」
^^^^^
 そう、軍事学部講師、チャン・リン・シャンである。

「………………不気味だからやめろ」

 マイヤーにそれ以外の『返す言葉』が見つかった訳はない。

「初心者ばかりなら、武器以外の装備も必要よね(^_^)、ま〜かせて。このチャンがすべて滞りなく準備するわ。私のポケットマネーで」
             ^^^^^^^^^^
 何の心配もなく任せられるわけはないのだが、刃向かうのは敢えて避けた。一生恩に着せられている身の上なのだ。下手につつけば墓穴を掘ることは目に見えている。
 何しろ相手は、チャン・リン・シャンなのだから……。

 そしてマイヤーは、チャンの言う『ポケットマネー』が中川の貯金だなどということは……知る由もなかった。

「俺はいかねえぞ。あの爺い(注/三宅教授のことである)と名刺屋(注/言わずもがなのチャンのことである)が絡んだサバゲーなんぞに顔を出すほど俺は生命知らずじゃねえんだっ!」

 ……という反論も一部(主に中川)にはあったが、マイヤーのひと睨みでなかったことにされてしまう。
 ひとりで逃げようったってそうは行くか。
 言葉にはならなくても、マイヤーの視線にはそう言いたげな含みがたっぷりと染み込んでいた。


 ……などという様々なトラブルの呼び水となりそうな要因を山ほどはらんで、ともかくも“恋のサバゲー作戦”(注/ゼロワンSTAFFにはつきものの、センスのないネーミングである。酒を飲みながら、もっともセンスがないであろうと判断される巽進一朗の案で可決)は開始された。

 日曜日、快晴――。
 多少風は冷たいものの、絶好のサバゲー日和である。

 だがここまでは、まだ前哨戦に過ぎない…………。

 

 


ACT6-12;恋する仔牛とサバイバル

「………………………………………………………………………………………………」

 マイヤーは、絶句した。
 午前十時三十分の集合時間に五分ほど遅れてやってきたとき、すでに軍事学部のフィールドは大小様々な牛で溢れ返っていたのである。より正確に言うなら、すべてのメンバーがどこで調達してきたとも知れぬ牛柄の野戦服に身を包んでいたのだ。ひとり残らず……。

「……何だこれは」

 一番手近にいた中川を捕まえて、放ったその言葉がマイヤーの第一声だった。

「俺に聞くな」

 怒声を……なけなしの自制心で抑えているのが分かる。
 似合いもしない牧場迷彩(注/牛柄の別称。チャン・リン・シャンによる命名)の野戦服を着せられて、大の男が晴れやかでいられるわけはない。中川の表情は不機嫌そのものだった。

「……何だこれは」

 似合わないのは中川と同様だが、それでも女の子たちの手前……そして何より企画発案者の手前、群島のお兄ちゃんの手前、にこやかな表情を保っている広田を捕まえて、ほとんど食ってかかるような勢いでマイヤーが第二声を発した。

「…………」

 広田は答えず、ただ視線をじりじりと横へ動かした。
 その視線の先には……せせら笑うように(注/本人はあくまでも愛想笑いのつもりである)マイヤー用の牧場迷彩の野戦服を持って立っているチャン・リン・シャンの姿があった。

「ひいきにしているブティックで注文したのよね。思ったよりいい出来だったわ。規格外のマイヤーでもバッチリよ」

 誰もそんなコトは聞いていないし、チャンのごひいきのブティックのことなど(よもやこんな服を扱っている店のことなど)聞きたくはなかった。……いや、間違っても足を踏み入れることのないよう、店の名前と所在地くらいは念の為に聞いておくべきなのかも知れないが……。

「何のつもりだ」
「まーちゃんっ! 早く早く〜」

 チャンに詰め寄ろうとしたところで、香南にそう呼び止められる。広田の手で改造を施し、パワーアップしたM60を抱えて、その顔はゴキゲンそのものである。

『将来のことどうしろとかさ……そんなコト言うつもりは俺にはないよ。マイヤーが責任をいろいろ考えてるのは分かるし、それは多分香南の為にもいいことだと思う。でもさ……たまには香南の為に羽目をはずしてやれよ。一緒に……香南の視点から何かを見て、一緒に馬鹿やって遊んでやれよ。あの娘は――将来のことなんか、まだ何にも決めてないんだから。それはこれからマイヤーの後を追いかけて行きながら決めて行こうとしていることなんだからさ。……香南と一緒に、遊んでやってよ。マイヤーだってさ、ベソかきの香南より、嬉しそうにしてる香南の方が好きだろ?』

 その広田の言葉と香南の笑顔がなければ、多分マイヤーは牛の群れを一目見ただけでUターンしていただろう。

「じゃっ、後は若い人たちに任せて……私はこれで失礼するわね(^^)。さ、お仕事お仕事……」

 香南を振り返ったマイヤーの視線に、普段は決して見せることのない和らいだ表情を見つけてチャンは身を翻した。

(あ――いいコトした後は気分もいいわ(^^)。やっぱ仕事の息抜きはコレに限るわよねえ)

 チャンが心の中でそんな事を考えていたなどとは、誰も知らない。ただマイヤーには、帰りしな彼女の口にした、

「のろけてもらった分は身体で返してもらうわね」

 ……というその言葉が心底恐かった。


 広田からのルールの説明が簡単に行われ、香南のM60と真奈美のウージーの乱射によるきょんのペイント弾蜂の巣攻撃を皮切りにゲームは開始された。

(情けない、余りにも情けないぞ、篠田清志!!)

 篠田(弟)の補習が確定したのは、もちろんその瞬間である。
 だが苦戦という意味ではマイヤーも同じだった。歴戦の強者である彼も、勝手の分からないゲームでは他の連中と同じく若葉マークつきの初心者である。そこへ持ってきて、戦場での経験が、大いに邪魔をするのだ。
 しとめた、とそう思っても、エアガンでは射程が足りない。

「いや〜ん、ユッコ爪が割れちゃったわ〜」

 なんて泣き言を言う味方にも……いつもの調子で怒鳴りつける訳には行かないのだ。
 調子が狂う。
 狂いっぱなしである。
 勝ってしまっては興ざめだが、やはり軍事学部の助教授の肩書きがある以上、無様な負け方をする訳には行かない。

(…………ど、ど、ど、ど、どうすればいいの? サバイバルゲームがこんなコワイものだなんて、全然知らなかったわ。ああっ、でも駄目よ。ここでビクビクしたらいい笑い者だわ。たかだかインクの詰まった弾が飛んでくるだけよ。牛柄の服くらい、何でもない事なんだわ。私は……私は気丈な女なのよ…………)

 今にも泣き出しそうな顔でフィールドに立ちすくんでいる稟が、それでも一発も弾が当たらない辺りに、周囲の気遣いが滲み出ている。
 舞い上がった土ぼこりにコンタクトレンズの目をやられ、滝のような涙を流しつつわんたん羽山が衿霞とユッコと綾子の三人にねらい打ちにされた。総数100発を越えるだろうと思われるMIL特製のペイント弾を食らって、羽山は声も出せずにその場に倒れる。

「……」(羽山は起きあがらない)
「……」(まだ起きあがらない)
「……」(……ようやく、その手がぴくりと動いた)

 顔を見合わせた男たちの表情に、

『冗談じゃねえぞ、おい』

 ……という戦りつが走った。
 こんなものを女の子たちに向かって発射するわけには行かない。そして同時に、こんなものを食らいたくはない。

「どこへ行く、中川」

 そろりそろりと戦列を離れようとした中川に、マイヤーの怒号が飛ぶ。

「いやあ、俺ももう歳でね」
「俺より十歳も若いと自慢していたのはお前だろうが……」
「……そりゃあ言いっこなしですぜ、旦那」
「敵前逃亡は銃殺だぞ」
「…………」

 もはや中川も羽山やきょんと同じ……ただの標的である。
 巽(息子)もすでに戦死。箕守も稟の乱射する弾丸の前に倒れ、広田は真奈美に狙撃され、巽(父)も忍武も野村も戦死している。
 残っている男は……中川とマイヤーだけである。

(戦争で死ぬなら、早いうちのが苦労がなくていいって言ってた映画の台詞の意味が、よく分かった………………)

 その場で一発でしとめてくれた真奈美を女房にして良かったと、中川はつくづく思った。

 二回戦、三回戦もその調子で続き、回を追うごとに野郎どももぷっつんしはじめ、女の子の犠牲者が目立ち始める。
 こうなったら、ヤケだ。
 後でおごって謝ろう。
 せめて顔だけは狙わないようにして……。

 そして全五回戦のサバゲー大会が終わったとき、最後まで一発たりとも弾丸を食らわなかったのはフィールドの真ん中に立ち尽くしていただけの、高梨稟だった。
 ちなみに稟は渡されたMP5を手に……ただの一度も引き金を引くことなく終わった。

(……私って、私って駄目な女ね……)


 そしてサバゲーの後は、チャンの手配によって『味の屋』での宴会へとなだれ込んだ。この宴会も、勿論チャンのポケットマネーによるオゴリである。

 宴会は、同時に『恋の日和作戦』の打ち上げ宴会でもあった。

「唯ちゃんと沫さん、やっぱり来なかったね……克っちゃん」
「ああ。そうだな」
「寂しい?」
「あいつらには、その方が似合ってるよ。仕事以外の場所で会って、一杯おごるさ」

 真奈美と中川がそんなことを話しているのを、広田はウーロン茶を飲みながら聞いていた。
 今日で、広田もゼロワンSTAFFを辞めた。
 もともとラブシックを追うためにスパイとなったのだ。事件が解決した今、広田にはゼロワンに留まる理由はなかった。そして広田にはもっと別にやらなければならないことが山積みとなっている。
 中川は、何も言わなかった。
 アーマスの代わりに広田をこき使ってやろうという目論見が、なかった訳ではない。
 だが……引き留めるなんてのは、柄じゃない。

(唯も沫も広田も……正義の味方が必要になったときにはまた声をかけるさ。今度はもっと、カッコいい役を用意して――)

 宴会は、その後ゼロワンSTAFFに場所を移して朝まで続き、忍武の点てた抹茶できれいに締めくくられた。

 佐々木建設の仕事で得た貯金が最後の1円まで使い尽くされているのだと中川が知ったのは、その翌日のことである。

 

 


ACT6-13;たまらなく、恋しい別れ

「顔色も、ずいぶん良くなったね。何かいいことでもあったようだ」

 午前0時を過ぎると……SNSのラウンジにいる客の数はぐっと少なくなった。
 偶然居会わせた津久井の横で、稟は身を堅くして発する言葉を探していた。なかなか気持ちが言葉にならない。
 自分の気持ちを、彼女に気づかれるのが……恐かった。

「昨日……広田くんやマイヤーさんたちと、子供みたいに遊んだんです。多分、そのおかげかしら。元気になった香南ちゃんを見て安心したし……。あんな風に羽目をはずすこと、もうずっと忘れてたような気がするわ」

 声が震え出すのではないかと、そればかりを気にしていた。何をしゃべっているのか、自分でも良く分からない。
 会話がふたつみっつ続き、そして沈黙。それを何度も何度も繰り返すうちに、時間ばかりが虚しく過ぎていった。
 津久井に言いたい。
 自分の気持ちを……。
 知られることを恐れるその一方で、稟はそう望んでいたのかも知れない。だからこうしてずるずると会話を引き延ばして……いつまでも津久井のそばにいたかった。

「私は……そろそろ失礼するよ」

 何度目かに会話が途切れた時、津久井はそう呟くように言って腰を上げた。グラスの中に残った氷がとけて、かちゃっと音を立てる。

「…………おやすみなさい」

 稟はそう言って、津久井の顔を見上げた。
 その顔が、すがるような表情だったのだろうと自分でも気づく。そんな自分の気弱さに腹が立った。だが……津久井は微かに笑みを浮かべた表情で稟のことを見つめ返す。

「おやすみ。あなたも夜更かしはせずにね」
「……待って、津久井さん」

 やっとの思いでその言葉を口にした。
 立ち上がろうとしたその時に、手元にあったバッグが床に落ちる。口が開いて、中に入れてあった化粧品やコインが床に散った。

「そそっかしい人だな」

 津久井はまた微笑し、落ちたコインを集める稟を手伝った。
 床に落ちた化粧品はどれも高級なものだった。凝った装飾の施されたえんじと金のケースに納められた口紅、アイシャドー、香水。すべてがふわふわとした少女っぽい印象の稟には不似合いな、アダルトな印象の強いブランドばかりだ。
 ひとつだけブランドの違う口紅が、津久井の足元に転がっていた。
 大学を出て就職したばかりの年頃の女の子たちが愛用するブランドの品だ。柔らかい、ピンクを主体にしたカラーが売りの商品である。

「……あ」

 床に落ちたものを拾い上げて顔を上げたとき、津久井の手にしている口紅を目にして稟は小さく声を上げた。恋をしたためた日記を盗み見られてしまった少女のような、羞恥の表情がその顔に浮かぶ。
 津久井は口紅の……やや安っぽく見える白いプラスチックカバーを外した。

「シルキーピンクっていうんですって。可愛い名前ですよね。あんまり可愛くて衝動買いしてしまったけど……似合わないでしょう? 全然……使ってないの」

 いたずらの言い訳を並べるように、津久井の顔を見上げた。
 稟のメイクは決して濃くはない。仕事の後に直してからずいぶん時間が立っているし、飲んでいたコーヒーのカップに移って口紅はほとんど落ちてしまっていた。
 その稟の唇に、津久井はそっと指を延ばした。
 わずかに残っていた真紅の色をその指で拭き取って、真新しいピンクの口紅をゆっくりと唇に触れさせる。
 津久井の指が……ひどく繊細だということに、稟はその時気づいた。
 たった一度でも触れてさえいれば、彼女を男性と間違えたりはしなかっただろう。
 津久井の指が紅を引いていく感触を、稟は目を閉じてじっと感じていた。彼女の指が唇から離れ、稟の手をとって、左手に冷たい感触を残す。それじゃあ、と押し殺した声を耳もとでささやいて去っていくのを、目を閉じたままじっと感じ続けていた。
 今でも……恋しかった。
 涙が溢れるほどに……追いすがってその背中にしがみつきたいほどに恋しい。
 津久井加奈子が、ではない。
 津久井という、実在はしない男性が……たまらなく恋しかった。

 三日月迅は、その津久井と稟の姿をカウンターの奥からじっと見つめていた。
 店にはもう稟しか残ってはいなかった。照明を落とした店内にじっと立ちすくむ稟の姿が、消えていってしまいそうなほど頼りなく見える。

「…………」

 何か声をかけたいと思いながら、三日月には言葉が見つからなかった。

 だが、その三日月の気持ちを察したように稟は瞼を開いた。左手の掌に、以前津久井に渡したくすんだ銀色の指輪が握られている。その指輪を小指にはめると、稟はカウンターの方へ歩み寄った。

「ね、占いはもう時間外かしら?」
「いいえ。いつでもOKですよ」
「じゃあ……お願いできる? 占ってもらうの初めてで何にも分からないんだけど」
「恋の占いを?」
「ええ……」

 小さくうなずいて、津久井の出て行ってしまった扉の方へ視線を投げた。
 もうそこには、津久井の姿はなかった。踵に金具をつけた彼女の靴が、階段を降りていく音が聞こえるような気もしたが……多分気のせいなのだろうと思い直す。
 もうとっくに、彼女は店を離れてしまっているはずだ。

「でもその前に、ちょっとだけお酒を飲みたいわ。古い恋とお別れする為に……」

 稟は涙を見せなかった。

(泣いちゃ駄目。泣いちゃ駄目よ……稟。そして、もっと強くならなきゃ。もっと自分に素直になって、もう一度恋をするために……強くならなきゃ)

 

 


ACT6-14;恋の一粒

 まぐまぐバーガー縁島洋上高校前店は、下校途中の生徒たちでいつものように賑やかだった。

「アルバイトを始めようと思うんだ〜」
「昨日の『洋画セレクト』観た? 主人公の俳優がカッコいいの!」
「補習、あたしも引っかかるかしら」
「転校生の森沢さん、今日も仁科先生にしごかれてたね」
「ねえねえ、クラブのお金、もう払った?」

 取り留めもない日常の話題。そんな中に時折、何組の誰が誰を好きだと言ってただの新しく運動部のコーチになった先生がカッコいいだのという噂話が紛れ込んでいる。
 ラブシックの話題は、もう遠くなってしまったようだった。
 マスコミの事件への関心が次第に薄れて行くにつれ、少女たちの会話からもラブシックの名前は姿を消していった。群島中がその麻薬の噂に……まるで熱病にかかったかのように振り回されていたなんてことが、今では嘘のように思えてくる。
 稟は店の片隅でコーヒーを飲みながら『本日のニュース』を確認し、そうした女の子たちの声をぼんやりと聞くでもなしに聞いていた。
 ほんのりと柔らかいピンク色の口紅を刺した口元。チークもシャドーも変え、香水もフローラルの優しい香りのものを新しく選んだ。
 これまで意固地になって作り上げてきた自分のイメージを洗いざらい捨ててみるとなんだか身が軽くなったような感じがした。

(お店……なんだか寂しくなったみたい)

 以前と変わらない繁盛ぶりの店内を見回して、稟はそんなことを思った。カウンターの向こうにスパイの姿が居なくなったせいなのか、相席を頼んでも裁ききれないほどにひしめき合っていた新聞片手の探偵たちの姿がなくなったためなのか……店にはちょっと隙間ができたような気がする。

「あ、店長さん、ちょっと何とか言ってやってくださいませんか。あの連中に……」

 オフィスへ入ろうとキッチンのそばを通った時、ハンバーグを焼いていた忍武がそう声をかけてきた。のぞいてみると、休憩室に陣取って六甲と天本真弓、それに出居直子の三人が、時間切れになったところをくすねたらしいハンバーガーをかじっている。六甲は、今日は真弓の膝に座って食べている。

「………………」

 いつの間に六甲の「病気」が他のふたりにまで伝染したのかは謎である。
 三人とも元気いっぱい、アルバイトの中では働き者として通っている優等生なのだが、マニュアルでは割り切れない部分が欠点だった。
 つまり、

『食べ物を粗末にするなんて良くない!』

 ……というその部分である。

「こら! こんなところでつまみ食いしてちゃ駄目でしょ。やるんなら、もっとこっそり目立たないところでやらなくちゃ」

 三人にそう苦笑して、稟は休憩室の椅子に腰を降ろした。

「店長さんも一緒に食べますか? ちょっと冷めてるけど、まだ美味しいですよ」

 真弓の笑顔に、返す言葉を失ってしまう。

「ダイエット中なの」

 そう言って、差し出されたハンバーガーをとりあえずは断る。まさかここで稟まで一緒になって規則違反をやる訳には行かない。
 テーブルの上に置かれたサクマドロップスの缶に気づいたのはその時だった。以前、ラブシックに関係しているアルバイトを発見しようと広田たちが仕掛けたものなのだが、目に飛び込んできた瞬間、稟は思わず声を立てそうになった。

「じゃあ、店長はん。これならええがじゃろ?」

 六甲はドロップスの缶を取り、蓋を開けた。

「ね、店長さん知ってますか? このドロップス食べると恋がかなうっていうジンクスがあるんですよ」

 直子が嬉しそうに解説した。
 噂には疎い直子が……多少流行遅れとは言え、そんなジンクスを耳にしたことがあるとは大したものである。

「恋のジンクス……ね」

 稟は微笑を浮かべた。
 缶を差し出す六甲の前に、銀の指輪をはめた左手を差し出す。掌に、残っていた十粒程の色あざやかなドロップスが転がり出る。
 その中からハッカ味の白い一粒を拾い上げて、口へ運んだ。


 子供の頃によく食べたドロップスの味。
 そう言えばイチゴやオレンジが好きで缶の底にはいつもこのハッカ味の白いドロップスが残っていたような気がする。
 ハッカの味がほんのりと口の中に広がる。
 失くした恋の味。
 そして微かに恋の予感を思わせる甘さが、いつまでも尾を引くように残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ACT6-15;エンディングロール

■CAST

 ハインリヒ・フォン・マイヤー
 森沢香南

 アーマス・グレブリー
 大西諒

 黒沢世莉
 橋本陽子

 ルイス・ウー

 中川真奈美

 中川克己
 広田秋野
 朝比奈うずめ
 沫雷
 白葉衿霞
 加賀美忍武
 巽進一朗
 羽山巧


 津久井加奈子


 ジーラ・ナサティーン
 シーラ・ナサティーン
 スジャータ・ナサティーン
 アルファ・ナサティーン
 シータ・ナサティーン
 ヤラン・ナサティーン

 三日月迅
 箕守礼一
 夜木直樹
 三輪祝詞
 玉乃宙実
 闇沢武士
 広川庵人

 小岩井志織
 杜沢修子
 花村桜子
 仁科雄二
 三枝義保
 弥生葉月
 水無月雪美


 小泉六甲
 天本真弓
 出居直子
 シータ・ラム

 チャン・リン・シャン
 諏訪操


 築地綾子
 篠田清志
 巽守
 久慈龍一郎


 雅命星子
 ハーツェリンデ・モントフェルト
 榊原良子
 高橋聖羅
 田無論
 水姫沙羅
 富吉直行
 アインシュタイン
 黒水仙の女

 天城梨沙
 森沢香織
 坂井俊介
 篠田幸子
 花村佐和子
 笹倉加世子
 市村雅彦
 仁藤拓也
 マイア・I・リーク
 山田哲也
 寺島富雄

 まぐまぐバーガーのアルバイトの皆さん
 洋上高校の生徒さんたち
 整備員の皆さん
 AS局員の皆さん

 赤ちゃん……多数
 女子高校生……多数
 群島の探偵……多数


 三宅準一郎
 白葉透


 高梨稟


■協賛

 日本まぐまぐバーガー株式会社
 ゼロワンSTAFF

■協力
 洋上大学付属高等学校
 洋上大学軍事学部
 洋上大学基礎工学部総合科学研究所(MIL)
 洋上大学基礎工学部農業工学科
 洋上大学基礎工学部航空工学研究所(航空警邏隊)
 群島中央病院
 縁島洋上高校前駅
 SNS
 うぃんずている
 WWL
 味の屋
 こうじや
 『晶』
 プリマドール
 アーキペラゴ・ステーション

 物語はフィクションであり、
 登場する名称等は、実在の人物、
 団体、事件とはいっさい関係ありません。

■STAFF
 原作・執筆/上原尚子
 設定・原案/楠原笑美

 協力・応援/MA、ARをくれたアクターの皆さん
   &同時進行のSTの皆さん

 配給/グローバルデータ通信

 

 

 

 

 

 

 

 

――Fine――